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カテゴリ:小さい話で盛り上がろう。
誰が言った言葉かってのは、ようちゃん2号的に、あんま、重要でないのね。
「誰が」じゃなくて、言葉の組み合わせって言うのかな? その物言いが、ちょっとおかしいと思ったの。 たとえば、引退を決めたのが「体力の限界が…」、ってんだったら、「決意した」っての、振りかぶりすぎのような気がする…。 気持ちはあるんだけれど、どうにも体力がついて行かないんだったら、そんなの引退の潮時のような気がするのね。 だったら、やっぱ「決意する」っての、どうにも振りかぶりが過ぎるような気がする…。 どう言うか、たとえば、 「世界レベルと対等にやって行くだけの体力にはもう限界にあることがわかりました」 なら、決意もくそもないな。 んで、体力はまだまだあるんだけれど、気持ちが萎えて、「引退…」ってんだったら、「決意」っての、やっぱり、なんかへん…。 萎えた気持ちの中で、決意だけはできる(気力がある)っての、論理矛盾のような……。 そういうんじゃなくて、「ただいろいろつらつら思うに…」ってんだったら、やっぱ「決意」って言葉にはならないんじゃないんだろうか…、ってね、思う。 ここまで考えてくると、「決意」ってのが、どこぞの宗教団体が使う慣用句ぐらいにしか思えんの。 なんだとしたら、もう、その人、自分でものを考えることを放棄している感じで、やっぱ、「決意…」ってのとは、ほど遠い感じ…。 んで、そういう人なんだとしたら「決意した」とは口に出して言ってもらいたくない感じ…。 …すんごく小さいことに、ようちゃん2号がとらまっている感じは自分でもしているんだけれど、テーマが「小さい話で盛り上がろう」ってことで、ゆるしてね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年05月01日 00時29分23秒
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