気づき
最近、石つけなくなったね。と、同僚にいわれて、はっ!?っと思いました。この数ヶ月、腕にいつもつけていたパワースト-ンをつけていない。いつぐらいからなのか、忘れているのではなく必要ない。と、いう気持ちかもしれない。以前ほど、いろんなものに依存していない。誰かのために、カ-ドセラピストをとりたい。誰かのために、レイキを取得したい。誰かのために、見えない力がほしい。いろんなことをやってみた。スゴいと言われる人達にあって色んな話を聞いた。誰かのために、なんてのは、立て前。もちろん嘘じゃない。でも、本当は全て自分のためだったのだと思う。何かを取得することで、誰かを変えるなんて甘かった。いろいろやってみたからこそ自分自身を見つめられ自分自身を癒せた。誰かの為ではなく、全て自分のためだった。弱く誰かにすがりたい人ほど誰かのために、自分にないパワーが欲しい。と、なりがちです。でも、目に見えない力や神がかったものにすがるより、自分自身を信じることが一番だったような気がします。他人をどんなに騙そうと、嘘を言おうと、自分は自分を一番知っています。誰かのために、と言う思いは、嘘ではなかったけど、大半は自分の為に。だったことでした。色んな精神世界に頼っていた私はいつの間にか薄れていました。今は、自分自身(自神)だと思います。神仏は自分の心の中で敬い尊重してはいますが、それは自分の為だけの為です。神仏をコントロールすることなんてできませんから。パワースト-ンを付けていた時は守ってほしい。パワーが欲しい。と依存していたからだった気がします。今、つけようと思わないのは、今の私には必要ない。からなのだと思います。決して見えないパワーをもったとかではありませんが、何かにすがっていたときよりは、私自身を一番信じている自分である気がします。何かに依存していたときよりずっと物事が思い通りになっています。そうそう、今おもえば、カ-ドセラピストやレイキなど難しい勉強なんてしなくてもお金を支払えば誰だって取得できる。でも、本当に勉強して難しい試験を受けて取得するものは、自分自身を高め向上させることができる。全てやってきたことに後悔はしていないし、むしろ、気づきになって良かったと思う。