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テーマ:京都。(6119)
カテゴリ:歴史
島原の後は、バスで中心街へ移動しました。五条壬生川で乗って、四条高倉で降りました。そこから堺町通を北上し、イノダコーヒー本店まで歩きました。
イノダコーヒーといえば、京都では有名な老舗のようですね。故高田渡の「コーヒーブルース」の歌詞に出てくる「三条堺町のイノダっていうコーヒー屋」は、ここの店です。「三条堺町」は正しくは「堺町三条」だと思いますが。 ここで昼食をとりました。ロールパンセットを食べました。 さてイノダコーヒーを後にし、三条通を東へ歩きました。次の目的地は池田屋事件跡地です。ここから先は石碑めぐりのようになってしまいました。 池田屋に行く前に、そのすぐ近くにある坂本龍馬旧居跡へ寄りました。今はこんな感じの店になっています。 そこからちょっと北の三条通沿いに池田屋の跡地はあります。今はパチンコ屋になっています。ここは今回どうしてもこの目で見たかったところです。ただ石碑があるだけですし、幕末や新撰組に興味のない人には本当に何の価値もない場所ですので、下手に人を誘って来ることはできません。 ここからまたバスを使って、河原町三条から四条河原町へバス停1個分だけ移動しました。目的地は古高俊太郎邸跡です。今は「志る幸」という料亭になっています。 古高俊太郎というのは、池田屋事件のきっかけになった人物です。元々は長州の倒幕派志士で、名前を喜右衛門と偽ってスパイのような活動をしていました。新撰組に捕えられ拷問にかけられ、8月18日の政変で京都を追われた長州勢らによる京都御所の焼き討ち計画を自白するに至りました。この計画を阻止するために、倒幕派志士たちが密議を行っていた池田屋に近藤らの新撰組4名が踏み込んで、池田屋事件が起こりました。 ここで気になったのが石碑です。「勤王志士」と書かれています。どうもこの文言には私は違和感を感じずにはいられませんでした。当時の孝明天皇の信認の厚さからいえば、倒幕派の浪人たちから治安を守る京都守護職すなわち会津藩の方がまさに勤王だったはずです。倒幕派=勤王志士という発想は薩長側のものの見方で、ちょっと一方的な気がします。 その後、ここからすぐ近くの坂本龍馬・中岡慎太郎遭難の地へ向かいました。まだまだ続きます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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