184976 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

目指せ!インテリ風(注:インテリではありません)

目指せ!インテリ風(注:インテリではありません)

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Profile

もろみ酢王

もろみ酢王

Calendar

Category

Comments

コメントに書き込みはありません。

Freepage List

Headline News

2008年08月06日
XML
テーマ:相撲(1784)
カテゴリ:スポーツ
私が注射すなわち八百長相撲の疑惑の存在を初めて知ったのは、確か1991年春場所前後の週刊ポストでした。

週刊ポストではそれより10年以上前から八百長疑惑を追及し続けていて、電車の中吊りや新聞の広告欄に「八百長をしない横綱大乃国」などのタイトルを見たこともありましたが、その時は手に取って読むには至りませんでした。

さて、その91年春場所前後の週刊ポストは、元幕内朝登(元東関親方)による「千代の富士よ、もういい加減にしろ」というようなタイトルの八百長告白だったと思います。不思議なことに、その直後の夏場所中に千代の富士は引退しています。

朝登は私が相撲を見始めたころは既に十両に落ちていて、現役時代の相撲を見たことはないのですが、子供の頃に親に買ってもらった「大相撲大百科」(だったかな?)にも載っていた力士だったので、名前だけは知っていました。かつて横綱柏戸を破って金星を獲得し、柏戸はその一番を最後に引退しました。柏戸に引導を渡した力士として知られています。

朝登は昭和40年代後半の八百長工作人の一人だったようです。昭和48年にある横綱を誕生させるために東奔西走した様子が語られていました。実名は伏せられていましたが、動いた時期が昭和48年1月と明記されており、この「作られた横綱」が琴桜だったことは一目瞭然でした。元大鳴戸親方の著書「八百長」でも、この横綱を誕生させるために工作に走った、というようなことが書かれており、ピタリと符合する話です。

記事によると、朝登が事前に「横綱になって短命で終わっても構わないのか」と聞くと、「それでも横綱になりたい」と琴桜が答えたため、それで手を尽くして協力することになった、とされています。買える星は片っ端から買っていき、ガチンコ力士までも半ば脅しをかけるように口説き落としたことまで書かれていました。その甲斐あって48年1月場所後に横綱に昇進したものの、翌年7月場所前には引退し、「案の定短命だった」とも書かれていました。

記事では更に琴桜本人にも直撃取材していて、その様子が写真にも出ていたような記憶があります。怒るでもなく淡々と反論していたような内容でした。

真相は当事者にしかわからないことでしょうが、琴桜の名誉のためにあえてひとつ触れるならば、琴桜は引退して佐渡ヶ嶽部屋を継承し、親方としてその後実に数多くの関取を誕生させています。多分10人は軽く超えるのではないでしょうか。その数は他の親方たちとはとても比較にならないレベルです。関取を一人も誕生させられない親方も珍しくないですから、いかにスカウト力と指導力に長けていたかということになるかと思います。

私が今思い出すだけでも、琴千歳、琴風、琴若、琴ヶ梅、琴錦、琴富士、琴稲妻、琴別府、琴椿、琴の若、それに現役の琴光喜、琴欧洲、琴奨菊、これだけでももう13人ですね。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2008年08月13日 15時33分23秒
コメント(0) | コメントを書く
[スポーツ] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.
X