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2008年08月28日
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カテゴリ:旅行・観光
レンブラントの家の後は、またワーテルロー広場まで歩いて戻り、トラムで今度はアンネ・フランクの家へ向かいました。アンネの日記で有名ですが、アンネ・フランクの一家がアムステルダムに潜伏していたというのは、恥ずかしながら私は今回の旅行まで知りませんでした。

旅行ガイドブックにも、ここは長い行列ができると書いてありましたが、私が行った時もやはりそうでした。入場するまでに30分かかりました。でもまだいい方かも知れません。

確かこの建物は当時会社の事務所になっていて、その2階の奥に本棚があります。その本棚は実は回転するようになっていて、本棚の後ろに隠れ家への階段があります。見学者は皆そこを通ることになります。狭いので一人ずつしか通れず、それが長い行列の原因になっているのだろうと思います。

隠れ家には当時の家財道具はありませんが、アンネが生活していた部屋自体はそのまま残されています。とにかく周囲に気づかれないように、昼間はトイレにも行けなかったというようなことが確か展示には書かれていました。

アンネ一家は1944年にゲシュタポに発見されてしまい、アウシュビッツの強制収容所に送られてしまいます。家族は感染症などで次々と亡くなり、結局戦後まで生き残ったのは父のオットーだけでした。オットーが1980年まで存命で、日記の出版に尽力したということを、私はここを見学して初めて知りました。トータル1時間ほどこの家を見学しました。

ここは日本語のパンフレットもあります。展示コーナーで音声が流れているところがあって、確か日本語もあったような気がしますが、記憶が定かではありません。いずれにせよ、日本人も多く訪れるところです。私が行った時は日本人らしき人はいませんでしたが。アムステルダムに来たならば、ここはぜひ行った方がいいと思います。

アンネ・フランクの家 正面

上の写真はアンネ・フランクの住んでいた隠れ家に通じる建物の玄関口です。見にくいですが、ドアの右側の柱に"ANNE FRANK HUIS"と書かれています。ちょうど下の写真で水色の服を着た人の立っている前がこの玄関です。その向こうに人が何人か並んでいるのが小さく見えますが、そちらが観光客の入口です。

アンネ・フランクの家 外観

アンネ・フランクの家を出ると、もう6時過ぎくらいになっていたでしょうか。まだこの街に慣れていないので、遅くならないうちに夕食をとることにしました。

オランダではパンケーキ(オランダ語ではパネクック)が名物のひとつに数えられているようだったので、それを食べに行きました。アンネ・フランクの家から歩いて行けるところに、パンケーキベーカリーという店があったので、そこへ行きました。

パンケーキはお菓子のようにクリームやシロップをトッピングして食べる場合と、食事としてチーズやハムと一緒に食べる場合があります。私はベーコン&チーズを注文しました。飲み物はホットチョコレートにしました。

パンケーキ

パンケーキはクレープに似て薄いですが、直径は大きく量は十分でした。食べ方がわからないので、周囲のテーブルをチラチラ見てみましたが、切り方は適当でいいみたいでした。

ガイドブックには、パンケーキの店では特にチップはいらないというように書いてありましたが、近くのテーブルを見ると、最後に払っているっぽい人もいました。迷いましたが、私は結局払わずに済ませました。外国での食事は結構神経を使います。





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Last updated  2008年08月29日 00時00分23秒
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