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2009年01月22日
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テーマ:相撲(1783)
カテゴリ:スポーツ
「新潮45」12月号を、今頃遅ればせながら読みました。その中に、スポーツライターの玉木正之氏の書いた記事がありました。

冒頭に、『相撲は神事であり興行である。力士の「阿吽の呼吸」を「八百長」と非難するのは、野暮と無粋の極みである。』とありました。

週刊現代に書かれていたことを、おおよそ事実であると思っている、とした上で、相撲はスポーツであると同時に、神事や興行としても存在していると論じ、そこに存在する「情」や「阿吽の呼吸」「気」といったものは相撲の一種の美徳である、と展開されています。

私もこれまで大相撲の八百長疑惑に関する記事を色々読むうち、八百長というのはもしかすると日本の文化の一部ではないか、スポーツ以外の世界でも色々と形を変えて日本の中に存在するのではないか、という気がしていましたが、この記事には何となく似た空気を感じました。私の場合は単なる直感で、この玉木氏の文章はきちんと整理し論理付けられていますから、全然レベルが違いますが。

一方で、大相撲でそういった行為が激増しシステム化され相場の金額まで形成される状況はさすがに目に余る、というような趣旨のことも書かれていました。確かにそこまで来ると、これは文化の伝承という範囲を逸脱しているだろうと思います。

なかなか難解でしたが、相撲を日本文化から考えた内容で、非常に奥が深い記事でした。ご興味のある方は、図書館ならきっとまだ手に取れるだろうと思います。

余談ですが、この記事の中で、「出来山」という言葉が紹介されていました。対戦する力士同士が勝敗の行方をあらかじめ決めている一番を「出来山」というそうです。「出来レース」という言葉はこの出来山から来ているようです。

今まで私は、「出来山」というのはただ単に大相撲の年寄名跡の一つだと思っていました。現在の出来山親方は元関脇出羽ノ花ですが、現役時代はガチンコ力士だったといわれており、その力士の取得した年寄株が「出来山」というのは、何とも皮肉なことだと思います。





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Last updated  2012年04月01日 22時05分42秒
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