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2011年12月05日
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カテゴリ:日々の出来事
先日父が74歳の生涯を閉じました。

10年くらい前から

脳梗塞
脳動脈瘤
腹部大動脈瘤
心筋梗塞
腎不全

と相次いで大病&手術等を繰り返してきまして、何度も死の淵から生還してきた運の強い父でしたが、これらの大病を繰り返しても、なおかつタバコと深酒をやめなかったことが寿命を早めてしまったような気がします。

父方の祖父は85歳で他界したのですが、たぶん父も最初の脳梗塞の時に禁煙をして食生活&生活習慣を改めることができていれば、祖父と同じくらいの年齢まで、あと10年くらいは元気でいてくれたのかも知れません。
(祖父は50代で肺気腫になったことをきっかけにタバコをやめた)

脳梗塞を後遺症なしに克服した時、母と私と弟は父に禁煙することを強くすすめました。
しかし本人は全くやめる気がなく退院すると程なく喫煙を再開。
その後脳動脈瘤の手術、大動脈瘤の手術などを繰り返し、再び父に禁煙をすすめましたが、父は好きなことをして寿命が短くなるのであればそれはそれでいいと言ったのです。

そんな運の強い父でしたが、3~4年前、腹部に大動脈瘤が見つかった時、同時に心臓に酸素を送る動脈=冠状動脈が詰まりかけていることがわかり心筋梗塞の危険があることが発覚しました。
大動脈瘤の手術の前に、まずはこちらの治療が必要とのことで、カテーテルを使って冠状動脈の狭窄しているところにステントという金属の筒を入れて血管を広げる処置をすることになりました。
この処置は血管に造影剤を入れて透視しながら行うのですが、この時の造影剤が元々狭窄していた父の脳の血管を詰まらせてしまったようで、この処置の直後から父に認知症の症状が現れ始めました。

父は車が大好きで、車で出かけることや旅行を趣味にしていましたが、認知症が出てきた人間に運転させることは出来ないので、父の乗っていた三菱デリカを弟に譲ることになりました。
しかし父は自分の認知症を認識していないため、自転車でディーラーに行って新しい車を購入する話をすすめて来たり、車がないなら母のバイクを乗ると言い出し、母にバイクのキーを貸せと詰め寄ったりといろいろ問題もありました。

父の認知症は知らない人が話をしたくらいだとほとんどわからない程だったので、逆にそれが厄介でした。
でも私や家族からすると、その時の父は以前の父に比べるといくらか、ポーっとしている感じで、父の回りだけ時間がゆったり流れているような感じがしていました。

父の最大の趣味は競馬と車でしたが、車に乗れなくなり、認知症がすすむと今までパソコンや携帯で馬券を購入していたのが、出来なくなってしまいました。
車に乗れなくなると1日中家の中にいて、1日中テレビを見ているような生活になってしまいました。
散歩でもしないとな・・と口では言うものの、行動が伴わず、段々と足腰が弱って行きました。

数年前母が膝を悪くして以来、掃除が思うようにできなくなり、父の介護の手伝いもあり私は週1で実家に帰って、掃除機をかけたり、トイレや台所の掃除をしたり、実家の家事手伝いをしに行っていましたので、父がこの3~4年ゆっくりゆっくり弱っていく様子を目の当たりにしていました。

晩年の1~2ヶ月は極端に食が細くなり、やせ細り、風邪を引いて熱を出し2~3日寝込んだことをきっかけに、足の筋肉が弱り全く歩けなくなったりもしました。
救急車を呼ぶことになったことも1度や2度ではなく、去年も元旦から父が熱を出し、病院に連れて行ったり、足が弱って歩けない時は父をおんぶして車に乗せたりもしました。

今回の入院も、再度心臓の冠状動脈が狭窄したことが原因の心不全ということでしたが、それまでの弱りようからして、もしかして今度の入院が最後になるかも知れないという気持ちが心のどこかにありました。

冠状動脈のカテーテル治療を1回行い、来週2度目をやるというところまでは元気にしていましたが、日曜日に私と母が夕方に帰ったあとに、再び息苦しくなってナースコールを呼んでからは危ない状態になり、次の日には危篤状態に陥りました。

内輪の身内が一通り会いに来てくれ、その時はすでに人工呼吸器をつけていたので話は出来なかったのですが、何か話したそうにし、私が「わかる?」と聞けば「うん」とうなづいてくれ、手を握ると握り返してもくれていました。
父がこのまま1人で逝ってしまうことが心細いだろうと思い、私は時間の許す限り父と手をつなぎ、父の手を握っていました。
しかしそれらの反応は時間と共に段々鈍くなっていき、11月23日の午前1時に父は息を引き取りました。

結局父の入院から今に至るまで私は一度も泣きませんでした。
母もこの3~4年の間に相当覚悟をしていたようで、告別式まで一切涙を見せませんでしたが、最後に父の棺に花を手向ける時に、少しだけ感極まっていました。
晩年の3年ほどは車にも乗れず、自分の行きたいところに好きな時に行けなくなってしまい、そういう意味では心残りもあったと思いますが、振り返ると好き放題わがまま放題生きた父だったので、大きな心残りはなかったのではないかと思います。
なので私は悲しいとか辛いという感情はわかず、心おきなく見送ったという、スッキリした気持ちでした。
ヘビースモーカーだったことと酒癖が悪いところをのぞけば、父のことは大好きでした。

母より父に体質が似ている私は父の病歴を見ると、先行きがちょっと怖くなりますけどね・・。





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最終更新日  2011年12月06日 02時40分51秒
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