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January 15, 2008
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カテゴリ:大切なもの

1月15日。

今日は私にとってとても大切な1日です。

一つ目はダンちゃんのお義母様のお誕生日お誕生日

近くに住んでいたならばお花とケーキでも持参して

会いに行くのに遠く離れた雪北海道雪までは難しいかな。

ささやかではありますが、年末にダンちゃんと二人で選んだカードに

一言添えて先日バースデーカードを贈りました花

お義母さまあってのダンちゃんですからね。

お義母さまが元気なダンちゃんを産んでくれたおかげで私たちはめぐり

逢うことができたのだし、家庭を持つこともできました。

感謝の気持ちでいっぱいの1日です。

 

それともう一つ、今日は私の伯母の命日でしたさくら

お嫁に行くことなくずっと独身だった伯母は犬と私と妹を

こよなく愛してくれていました。

小さい頃からよく色々なところへ連れて行ってもらったり、

たくさんのおもちゃを買ってくれたり、洋服を買ってくれました。

怒るときは怒る、甘やかすときは甘やかすといった感じで

いつも一緒だった伯母でした。

普段は養護施設の調理の仕事をしていた伯母は色々な

料理のコツ裏技なんかもたくさん教えてくれました。

どういった理由で独身だったかとかは聞く機会はなかったの

ですが、伯母なりに毎日の生活を楽しんでいたようでした。

12年前の3月に定年を迎える直前、伯母は突然体の不調を

訴えました。

『最近、不正出血があって…。』と私にナプキンを貰いに来たのです。

どういった訳で不正出血があったのかなどは当時の私には

わからなかったので家族中ですぐに病院へ行くことを進めました。

それでもなかなか病院へは行かずに定年後もしばらくそのまま

に生活をしていたのですが、本人も辛くなったのでしょうかある日

突然病院へ行ってきました病院

するとすぐに大学病院への紹介状を持って帰ってきて転院を進め

られたのです。まぁ、掛かりつけの内科だったしわからないことも

あるんだろうと家族でも軽く考えたのですが、転院先の大学病院で

検査すると即入院を勧められました。

すぐに空きがあったので入院し検査をしていったのですが、同じ時期に

父親が胆石で入院してしまいました。

あまり突然に家族二人が入院したことで私と母、妹の3人での

病院か良い生活が始まりました。

すると伯母の病院から病状説明があるので来て欲しいとの呼び出しが。

当時私はOLをしていて比較的融通の効く部署にいたことや上司、同僚の

理解もあって休みや半休を取らせてもらっていました。

呼び出しをされた時は入院していた父が肺炎も併発しており状態がよく

なかったので、母が父のところへ私が伯母のところへ行くのが日課に

なっていました。

叔父と私の二人で病状説明に伺うと思いもしない現状を告げられました。

伯母の病気は子宮頸がんの末期ですでに肺に転移しており、今生きている

事自体が奇跡のようなもの。生きていても富士山の頂上で呼吸している

ようなものだと…。余命は明日かもしれないし1ヶ月、半年、何とも言えない

とのこと。

あまりに突然の宣告に頭の中はまっ白になってしまいその後のことは

覚えていませんどくろ

翌日からは抗がん剤治療も始めて伯母は1日中点滴。

自由に病院内を動くこともできなくなり、脳梗塞も併発。

あっという間の出来事でした。

右半身が不自由になって寝たきりの生活になってしまいました。

余命宣告をされてからも病院の治療もあって何とか3ヶ月ほど

入院は続いておりましたが、これ以上は見込みもないということもあって

別の病院へ転院して残された日を過ごすことになりました。

すでに父は手術も終えて療養に入っていました。

勤め先に電話があったのが1月14日の午後でした。

伯母の具合が急変したので至急帰ってくるようにと。

学生だった妹と病院へ駆けつけたときは自力で呼吸も難しく

酸素を流していました。

病室もナースセンター脇の部屋に移り、今夜がヤマだと。

1月15日の早朝3時頃。自宅に電話があり伯母が亡くなった事を

告げられました。まだ真っ暗なところを車で向かいました。

とっても寒かった日だったのを今でも覚えています。

入院前はふっくらしていた顔立ちも最後はげっそり痩せて骨と皮だけ

になっていました。

入院中、家に帰りたいと何度も言っていたのにやっと念願かなって帰宅

したときには冷たくなって・・・。

 

家庭の事情もあって中卒で仕事を始めた伯母も定年を迎えてようやく

自由になったというのに。

海外へ旅行したい、英語を習いたいなんてことも言っていたのに。

結局何も出来ないままに伯母はお空へ行ってしまいました。

伯母が亡くなる3年前に祖母も10ヶ月ほど家で寝込んだ後に他界

しました。祖母の介護をしたこともあって妹は看護師への道を選び、

今年からは認定看護師になるための勉強をするそうです。

伯母がとても可愛がっていた妹の成長を今ではお空の上から見ていてくれ

ているのでしょうねきらきら

私の結婚式にも伯母は親族席にいてくれました。写真て形ではありましたが

仲の良かった叔母のお姉さん(他界)と二人で写った写真で。

私や妹にとっては母親のような存在だっただけに伯母がいなくなったことは

ショックでした。

もし今も生きていてくれたなら今頃は可愛いおばあちゃんになっていたのかな。

アクティブに遊びまわったりしていたのかな…なんて思うと無念でなりません。

今日は実家にお線香をあげにいってきました。

私の結婚も喜んでいると思います。

妹の成長も喜んでいるでしょう。

 

実は今私が不妊治療で通っている病院の先生は伯母が最初に入院した

大学病院でお会いしたことのある先生でした。当時はインターンだったよう

で伯母のナースコールなんかにもよく来てくださっていました。

先生は覚えていないかもしれないですがいつか治療から卒業をするときが

あれば併せてお礼を言おうと思っています。

不思議なめぐり合わせですよね。 

 

大事な人が生まれた日でもあり、失った日でもある今日は私にとって

とても大事な1日です。

 






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Last updated  January 15, 2008 06:59:31 PM
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