読書で人格なんて高まらない★年齢にふさわしい行動を
久しぶりのブログ更新になります。ちょっと身辺がバタバタしておりまして、すいませんでした。今日は、最近、考えていることを書きますね。「本なんか読んだって人格は高まらない」「本なんか読んだって豊かになれはしない」ということ。本を売ることで生計を立てている人間が言う言葉ではないかもしれません。年間2000冊ほどの本に目を通し、書店員を15年やってきた僕の率直な感想です。ちょっと刺激的な言葉ですか?でも、昔から、「本なんて、好きな人が好きなだけ読めばいいんだ」と思っています。今更、こんなことをいうのもなんだかなー、と思うんですが…。僕の職場は、書店ですから、当然、本好きの人間が集まる場所です。社員もそしてお客さんも。でも、どう考えてもみんな人格者ではない、というか人間的に問題がある人がたくさんいます。僕が、最近立ち上げたプロジェクトにも大人気ない難癖をつけてきた上司がいました。もう60歳くらいのいい大人がです。この人はかなりの読書家ですが、一体,何を学んできたのでしょうか?そういう連中が結構います。もちろん、人格的に素晴らしい仲間たちがたくさんいることも事実です。素晴らしい人たちももちろん読書家です。結局、人間的に成長するためには、人間的に成長するための努力をしなければならないわけで、学校などが教える、「読書で心の栄養を」なんていうのは根本的に間違いなんじゃないでしょうか。可能性を否定しているわけではないですよ。読書で心の栄養を取ることはできると思いますが、人間性を高めたりするのはまた別次元の問題であることをいいたいのです。世の中には、読書=善みたいな図式があって、「●●ちゃん、読書が好きなの。えらいわねー」なんてセリフどこかできいたことありませんか?どこがえらいんだか、僕にはちっとも分かりません。余談ですが、僕の所属する合気道の道場と空手の道場で、最近、立て続けに破門騒動がありました。どちらも指導的立場にある有段者の破門だったのですが、セクハラまがいの事件がきっかけで、実に情けない思いをしました。武道は人格形成の道、なんていわれたりしますけど、セクハラまがいの事件を起こすなんて,人格以前の問題なんじゃないですかね。人間的に成長するために、読書や武道に頼るのは間違っていると思います。読書や武道で人格は高まらない。本人の意識次第です。身の回りで、大の大人が、大人気ない行動をとるのをいくつかみてしまったので、ちょっと怒りモードな文章を書いてしまいました。人格形成というと大げさですが、年齢にふさわしい行動ができる大人でいたいと思ったのでした。