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テーマ:日本の政治(165)
カテゴリ:社会
ある「基準」で物事を二つに分けてしまう考え方を二分法というが、権力をもっている人は、そのもてる力をちらつかせながら大衆操作の技術的手段としてこれをよく使う。
ある「基準」で善玉・悪玉の2つに分けてみせられた僕らは、分かりやすさに喝采し、なぜどちらかを選択しなければならないかを疑問に思わないで、判断する立場なら精神的に追い込まれ、傍観者の立場なら判断に迷う人々の優柔不断を攻撃してしまう。 その「基準」でどちらが悪玉かは、マイナスイメージのわかりやすいレッテル(例えば「抵抗勢力」とか「アカ」とか)が貼り付けられていて、どんな反論も言い訳にしか聞こえてこないから人間の耳って不思議だ。そんなことを繰り返していくと反論も意見も何も言えない状況になっていくことが想像できる。 その「基準」って何?無理矢理Yes/Noを迫られ思考停止にまで追い込まれていて絶対的な基準のように思い込まされてしまっているが、誰かが作った基準でしかない。 ダウンタウンのトークでハッとさせられるときがある。自分が無意識に思い込んでいた「基準」をひっくり返されてその解放感で笑いが出る。政界でもダウンタウンのような政治家が出てきて9・11の衆議院選挙に登場してくることを期待したい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005年08月15日 23時37分30秒
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