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よぴさんのつぶやき

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2010年07月03日
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テーマ:癌(3550)
カテゴリ:つぶやき
7年前肺がんになったとき、積極的治療を受けるといい切ることを選択した父。
2年後、食道がんになったときは切ることが希望だったのだけど、
肺がんの手術をしているので放射線治療+抗がん剤治療を選択せざるを得なかった父。




とにかく『自分の中のガンを徹底的になくしたい』希望の父でした。




事実、肺がんも切った後2年間は何事もなく過ぎ。

放射線も抗がん剤も体にあったのか、ガンは姿を消したと見られていました。





父は、二つものガンを克服して生きることができ、とても満足でした。





食道がんの治療から数ヶ月後、父は肺臓炎を起こしました。

放射線治療の後遺症だといわれました。



2週間ほど入院して、退院できました。

その後数カ月おきに肺臓炎で入院、退院を繰り返しました。
徐々に入院期間が延びていきました。



家にいるときも常に苦しさを訴え、
「この苦しさが少しでもいい方向へ行けばいいのに。」と、
日々つぶやいていました。

父は徐々に元気をなくしていきましたが、
苦しさは必ず治るものだと信じて疑いませんでした。




父はもともと神経質で、タバコとお酒が大好きな人でした。
お酒を飲まないと借りてきた猫のように静かな人で、
お酒の力を借りないと、笑うことも話すこともしないような人でした。

食道がんを治療後、大好きなお酒も息苦しくて飲めなくなりました。

笑うこともほとんどなくなりました。


神経質から神経症のようになり、
家中の鍵やパソコンの電源、携帯電話の有無や何から何まで異常なほどの心配をするようになりました。




父を手術した病院は、ガン専門の病院でした。
なのでいつも
「ガンはきれいに治ってますよ」と言われていたそうです。
「顔色もよさそうですね」と。

でも、父は常に息苦しさを訴えていました。
私は神経的なものもあると思い、母に神経科に見てもらったらどうかと言っていました。

前に一度家の近くの神経科に行った事があるのですが、
薬を出されて、本(神経的にならないで生きましょう的なもの)を読みなさいといわれたとか。
読んでも当然神経質など治らず、薬も効かず。
それを相談すると薬の量が増えただけで。

結局通わなくなりました。

・・・あったりまえですよね。




ガンは、人間自らの負の感情で活動するといわれているそうです。
だから明るく朗らかにしていたほうがよいと。
何かを楽しんだり、一生懸命打ち込んだり、笑ったり。

父に足りないのはこの辺でした。

私は父を笑わそうと面白いメールを送ったり、
子どもたちの写メを送ったりしました。
会えば盛り上がりそうな話もしました。
でも、彼はたまにしか笑わなくなりました。

多分、笑えなかったのだと思います。苦しくて。





私は人間の「自然治癒力」を信じる人間です。
体の中のNK細胞(ナチュラルキラー細胞)が、
体内の悪い細胞をやっつけてくれると信じている人間です。

熱が出たら冷まして寝てれば治る。
治らなければそれは何かの病気だから3日目に医者に行く。
鼻水が出たらかめばいい。
鼻水は体内で戦って敗れた細胞の死骸だから。
体が勝っている証拠だから。
下痢したら出しつづければいい。
出し切ったら終わるから。
ぐったりしたら病院へ行けばいい。

医者は何人もの患者を診ているから、
ごくごく一般的なことを言う。
母親は、毎日その子だけを見ているから何か違えばわかる。
わからないこともある。人間だから。それは医者も同じだから。

病気を治すのは医者じゃない。
患者自身だと思っている。
医者も家族も、手助けしかできない。





父は今寝たきりで管を入れられ、呼吸器をつけられ、
点滴だらけで眠ったり起きたりしている。
起きるとつらいので「苦しい」「睡眠剤がほしい」「ねたい」と訴えている。

でも父は、自分が死ぬ方向へ向かっているということを多分考えていなかった。

ガン専門の病院では、放射線治療と抗がん剤治療でガンが治り、
「ガンはもうきれいだ」と言われ、
その後は楽に過ごせると思っていた。
それは夫婦してそう考えていたらしい。

副作用のことをまったく聞いてこなかったと言うのだ。

だから肺臓炎で入院してもすぐよくなって退院できると。


だから息苦しさが残っていてるのに「ガンはきれいだよ」と退院(転院)を促されても、
父は何で退院(転院)しなければならないのかわからなかった。



「ガンじゃないから、治療のしようがないよ」と遠巻きに言われても、
「こんなに苦しいのになんで治療しても治らないのか」とずっと言っていた。

実際、モルヒネも使い始めていた。




それが副作用の苦しみなんて、考えてもいなかった。




ガン専門の病院から紹介された病院は「リハビリ病院」。
リハビリして肺の動きを活発にしようというらしいが。

私からみたら、そんな息苦しさを訴えてぐったりと寝ているだけの患者が、
どうやってリハビリするんだと思っていた。
でもガンじゃないのでその病院にいられない、そういう流れで転院した。




転院してはみたものの、まったく今までと変わらず。
室温調節された部屋の中で、父はただただ苦しいと訴え、ただただ寝ていた。
そして転院して1ヵ月後。
肺臓炎を起こし現在リハビリ病院併設の病院のICUに入ることになった。





父はガンは切れば治ると信じていた。

だから肺臓炎で苦しんでいても死ぬなんて考えたことがなかったに違いない。
肺炎は治れば苦しくなくなるのだと、何年も信じていた。
ずっと私にもそういっていた。
後遺症なんて言葉、いまだに知らないようだ。

ガンや肺臓炎には治療に伴う後遺症があり、
放射線を使えばこうなる、
抗がん剤を使えばこうなる、
ステロイドを使えばこうなる、
モルヒネを使えばこうなる、
今までそれを理解して治療をしてこなかった。



だからこそ、今まで生きてこれたのかもしれない。
でもだからこそ、ここまで苦しむことになったのかもしれない。




今日父と話しをした。
苦しい、苦しいと言う父に、
「薬を使ってたくさん眠って、起きたら苦しくなくなっているのがいいんだよね」と。
父は「うん」とうなづいた。
ごくごく当たり前な、理想を話してしまった。
父はまだ、薬を使えば自分はよくなると信じている。


でも実際薬を使えば、死へ近づくことは否定できない。

今使っている薬は、意識レベルを下げる薬だから。
しかももう耐性ができてしまったみたいで、徐々に効かなくなってきているから。




薬を使ったら死んじゃうかもよなんていうぎりぎり、もう言えなくなった。
もっと早くそういうことを伝えておけばよかったのかもしれない。
言ってしまえば唯一あった父の生きる望みがなくなってしまうから。





苦しい→本人が楽になりたい・家族も本人を楽にしてあげたいと願う
=意識レベルを下げる=死




その公式が頭から離れない。



時が解決することがあるとすれば、
もしかしたらこれがそうなのかもしれない。





こんな長い文章を読んでくださってありがとうございます。
コメントお返事しなくてすみません。
間違っていることもたくさん書いていると思います。
私の個人的な覚書(つぶやき)と解釈してくだされば幸いです。





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最終更新日  2010年07月03日 23時29分15秒
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