テーマ:鉄道雑談(1540)
カテゴリ:鉄道
私は2006/1/7 12:00ごろ下関駅に行くことしていた。途中の新幹線の中のテロップのニュースで驚きの火災の情報を知った。火災はその日のAM2:00から3時間後の鎮火まで3000平方メートルの駅舎を焼失したということだった。けが人はなし。
小倉駅まで行くと、改札の駅員さんは門司港駅まで行くと代替バスが出ているという説明をもらいました。下関を通る在来線列車は長門市・小月・門司を囲う区間で運休となっていました。結局、新幹線で新下関駅に行くことにした。新下関駅に着くと電光の行き先表示で鮮やかに「列車代行」バスが待機しているのが見当たりました。 代替バスは、夜、下関駅に行くと小月、滝部、門司港方面に随時出ていました。新聞・TVニュースでも大きく報じられていますが、行く先の駅が使えなくなっており私への影響も大でした。 駅のどの辺りが焼けてしまったかと思っていましたが、東側の木造部分が全部焼けていました。そこには旅行代理店・ミニ水族館・サテライトオフィス・土産店などがあった場所です。隣接するケンタッキーと薬屋は残っていました。西側のフランスパン屋・名店街などは最初の予想とは反して残っており翌日は営業を始めていました。 帰る1/8 には、西口側から入り残っている券売機・みどりの窓口・改札で列車に乗れるようになっていました。火災で焼失した側の東側は、重機が入り残骸の撤去を始め白色ヘルメットの作業者が多数入り復旧を始めていました。 一人のこころない出所者が再び塀の中に戻るため空腹でむしゃくくしゃして常習的に放火したのが原因でしたが、1942年関門トンネル開通当時からの日々人々に利用されて来た木造駅舎が無残なことになってしまいました。残念な思いがします。 九州鉄道の基点門司港駅も木造でスプリンクラーがないので同じように危ないという記事も見かけました。 下関駅東口付近1/8 am9:30 元の駅舎は写真の9分割した真ん中に三角形を描き右側に屋根を伸ばした形だった 私的リンクの先には写真がありました この辺り 下関駅東口付近1/7 pm10:00 17時間後 下関駅前のヴィアインの前の代替バス乗り場の様子 門司港行きが去ろうとしている 私的リンク お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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