カテゴリ:夏の花
詩仙堂ではよく茂った高さ2m程のナナカマドが数本あり山野を連想させる野趣を醸して出していた。 詩仙堂: 徳川家康の家臣石川重之が大阪の夏の陣で敵将を倒す功を上げたが先陣争いを禁じる軍律違反により妙心寺に蟄居を命ぜられ、武士を止め文人に転進し、号を丈山とし一乗寺村に山荘を作り、その中の詩仙の間に中国36詩仙の絵を狩野探幽に描かせ自ら詩を書めた額を部屋の襖の上に掲げその詩仙の間により由来し詩仙堂と呼ばれている。石川丈山は、林羅山、本阿弥光悦、松風堂昭乗と交友があり、只穀邸の作庭をしたということだ。
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最終更新日
2009.06.22 19:00:04
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