見事に復興した
空襲で丸焼けになってからどうやって生きてきたのだろう鹿児島の町を離れ田舎の山村の空き家に疎開したことは記憶に残っている夜になると 天井でネズミたちが毎晩運動会をしていたそれを狙って青大将がやってくるその青大将 天井の隙間からか蚊帳の上に落ちてくることが何度かあった そのうち鹿児島の町はずれに仮設の住宅が建てられそこに入居することができたトイレはあったけど風呂がなく一週間に一度歩いて30分ほど離れた銭湯に行っていた 仮設の住宅地にはまだ学校がなく歩いて30分の学校に入学した 今は新しい門が出来ているが旧の門も記念に残してある1年生は有馬先生2年生は田中先生どちらもやさしい女の先生だった教室が足りずひとつの教室を2学年で使い午前に授業がある週午後に授業がある週交互になっていただから昼ごはんを食べてから登校することがあった 住宅地に新しい学校が出来たのは3年になる時だった新しい学校は《鴨池小学校》と名づけられた 震災の被災地の様子を見ていると終戦後の記憶がよみがえってくる 鹿児島の町は見事に復興し賑わっている今や新幹線も走る町になった