|
カテゴリ:見たい!行きたい!跡地めぐり
幕末歴史散歩~番外編~
~三笠~ 幕末以降、明治なんて興味が無かった 薩長のあんな人たちが作った世の中なんか、辿ったってシンドイだけだと思ってた。 でもやっぱりあの戊辰を生き残った方々が「生き抜いた」世の中なんだよね。 そんな風に思ったら、無性に知りたくなった「明治」 そんな時うってつけの本にあった。 「坂の上の雲」 で、ハマりました。 そしたらやっぱり行かなくちゃね。 ってことで「三笠」へ しっかり「海軍カレー」を食べて、いざ トキは5月。 まさに「天気晴朗なれども波高し」なオテンキ 思ったより、良かった 伊藤のシュミの悪さにはあきれ返ったけど、それを割り引いてもぜんぜん面白かったし、よりリアルに「明治」を見た。 うってつけに「秋山眞之と正岡子規展」もやってました。 というか、「坂の上の雲展」って感じだったね。 正岡子規に関してはもう少し突っ込んで知りたかった感じだなぁ。 マストに翻る大将旗とZ旗 船首には菊の御紋。 うぅ、開陽丸には三葉葵(モドキ)だったよね 甲板はなんか狭い感じ。艦ってこんなものなのかな。 主砲がデカイからかな。 有名な東郷元帥以下、幕僚が並び立ったブリッジにも立ちました。 ちゃんとそれぞれの立ち位置が記されていましたよ。 そこで改めて実感したけど、 怖いよねぇ 海の真ん中で、僚船を従えてるとはいえ、敵は世界に鳴り響くバルチック艦隊で、海は砲弾で沸き立ち、絶え間なく砲弾が降り注ぎ、仲間が肉片となって飛ぶ。 血の海の甲板をソコから見下ろしてるんだよ。 ジブンより大きな戦艦がみんなして自分を狙ってて、逃げるわけにも逃がすわけにも行かない、まさに「後のないタタカイ」。 そのブリッジにじっと立ってるなんて。 やっぱりすごい人なんだなぁ。 もちろん弾痕もありますよ。 ロシアの巡洋艦「バヤーン」の砲の盾に開いた、日本海軍の撃った砲弾の貫通痕。 「艦」としての三笠はワクワクするほど素敵だったなぁ。 開陽丸が蒸気船のハシリならこの「三笠」は帆船思考の最後とも言うべき艦で、説明してくれたボランティアの方のお話を聞きながらいちいち確認してみると、当時、係わった人たちのキモチがひしひししてくる感じ。 開陽丸もそうだけど、やっぱりこれは「戦いの為の艦」なので、こういう目的がはっきりしたものというのは悲壮だと思う。 係わった人達のオモイがひしひしな分、切ないモノです。 いろいろ規制があったり、ホンモノそっくりに直せない事情もあるんだろうけど、もう少し見てみたかったなぁ。 たとえば主砲とか、機関の構造と運用なんかはレプリカで充分だから実際どんな感じなのか見てみたかったしネ。 現に作戦を協議したお部屋とか東郷さんの居室とか、ネボガトフさんと会見した場所なんかは一種違う空気が流れてるからね。 ホンモノに勝る感動なし デスよ そういえば前に東郷さんの短剣っての、見なかったっけ。 そういったものが急に色がついて動き出したような、そんな感じ。 有名な東郷さんの銅像。 日本海船当時はあんなに貫禄のある体型ではなかったようで、そっちを銅像にしてあげればよかったのにねぇ 時間が合わず、軍港めぐりは出来なかったけどその代わりに猿島へ渡ってみました。 浜辺ではワカモノたちがバーベQしたり、釣り客が沢山いたりしてかなりの賑わい。 ここ猿島は明治時代、要塞があったところで砲台跡もあるという。 ツイ、いつもの気分で砲台跡を見に行ったけどこちらは対空砲の砲台跡。 とたんに興味がなくなるジブンもどうかと思うけど 江ノ島までつながっているという(伝説のある)洞窟とか、その要塞の崩れかけた跡とか、いろんな意味で楽しかったです。 時期が悪いのか、そういうものなのか、木が茂りすぎちゃって見晴らしはゼロに近い。 全く見晴らせません。 要塞跡も見張り台も全く手入れをしておらず、朽ちるままに任せている。と言う感じ。 これもまたひとつの「レキシ」かな なんとなく開陽丸とかもめ島なイメージだったけどこれまた全然違いましたね。 特にかもめ島は独り占めだったこともあり、歌う程テンション高かったからなぁ あそこは本当に素敵だった。 海の色も、水平線も、髣髴させる時代も。 5月は会津を想い、箱館を想い、戊辰を想う月だけれど、だからこそその延長にある「明治」を見られて良かったな お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|
|