|
カテゴリ:毎日の記録
もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら うっかり読んでいると自分の職場でも応用できるんじゃないか? と、思ってしまう。 ドラッガーの経営学なんて無縁のもの、所詮理解なんか出来ないさ。とあきらめていたけれど。 これは実践的でわかりやすい。 答えが目の前にあるようでなかなか気付けない。 気付ければ目からうろこのように視界が開け、自分のやるべきことが見えてくる。 見えてきたらそれに向かって、マーケティングをし、問題点を洗い出す…。 そんな風にして進んでいくと、自分だけではなく周りを巻き込み「良い連鎖」がそれこそ雪だるま式につながっていく。 それは誰が見ても無理なく無駄なくシアワセな連鎖に見える。 そんなことが我が身にも起こりえるんだろうか? たとえばチームでやってる仕事。 たとえばメンバーとの係わり方。 それだけ考えても、もっとやれることがあるんじゃないか。 「真摯」と言うコトバは難しい。 「誠意を持って真摯に当たればいつか必ず相手に伝わる。」と言われた。 それはうまく出来なかったことに落ち込む私をとても励ましてくれていたコトバだったんだけど。 今振り返ると後悔ばかりでも、その時はそれが一番いいと思って対応した…。 その結果うまく行かなかったのだから仕方ない。と思っていたけど、本当にそうかな。 「こういったら相手がこう思うだろう」トカ「こう言ってだめだったからもう良いや」と、 テキトウにやっていなかったかい? これ以上係わったら自分が抑えきれない、と、距離を置いていなかったかい? もっと冷静に計画的に係わっていたらもっと違った結果が出せたんじゃないのかな。 もうひとつ。 「真摯」と言う言葉、それ自体をはき違えていないかい? 「真摯」とはなにか。 integrityという単語で表現されているそうだ。 正直とか誠実とかよりワンランク上の状態を言う 目的があってその実現の為に内なる規範を保つ強さ。 「真摯」というのは誠実さ・素直さ・正直さだと思っていた。 本気で相手のことを思い、素直に自分の考えを伝えることのように考えていた。 でもここでドラッカーがいう『真摯さ』はそういったことではないようだ ぶっちゃけ言うと「逃げないこと」である。 考えてみれば、私が眼にできるのはあくまでも「翻訳」であって、決して原書ではないのだ。 ドラッカーの言っている意味がニホンゴに変わった時にちゃんとその理念を伝えているかというと、ギモンかもしれない。 ドラッカーのいう『マネジメント』や『マネジャー』と、日本でそれらの和訳として利用される『管理』や『管理者』との温度差は非常に大きい。 という書評を見たことで余計そんな風に思っちゃった。 自分勝手に解釈して、「建前」や「社交辞令」、「いいヒトらしく振舞うキモチ」で、「真摯」をごまかしていなかったか。 それはとても怖いことだと思う。 自分のキモチや考えを知られるのはコワイ。 否定されたらそのダメージがコワイ。 自分への信頼がなくなるのがコワイ。 そんなキモチを乗り越えないと取り掛かれない程タイヘンなことのようにも思う。 具体的に今からでもナニカできることがあるのかな。 イヤ、明日から組織編制がちいさいけれど変わるのだ。 その真っ只中にいるのだ。 今度こそ。 たとえ力不足でも。 信頼できる上司で無くても。 ひとつひとつ、それこそ「真摯」に冷静に取り組んでみよう。 それでダメなら…。 これでおしまい、ソロモン・グランディ。 ハナシがずれずれにずれましたが。 そんなことをつらつら考えてしまう本です。 岩崎夏海 ダイヤモンド社 ものすごーい余談ですが。 この「夏海」という名前、白虎につけたかった名前です。 どうにも縁が無くて泣く泣く諦めたある意味アコガレの名前ですなぁ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|
|