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カテゴリ:見たい!行きたい!跡地めぐり
横須賀
~信誠寺~ ・川越藩士の墓 幕末。幕府は江戸湾沿岸の警備を大名守備で固め、川越藩主・松平大和守に観音崎・走水・大津地域の海防を命じ、天保十四年(1843)大和守は大津に陣屋を造営しました。 川越藩の任期は十年間で、藩士の赴任に家族の同行を許し、陣屋内に同居させました。 赴任中に亡くなった藩士六名と家族は計、二十八名。 門前の坂に並んでいました。 今日のお目当てはここに眠る小川一族。 この小川茂周の妻が会津藩士小櫃氏のむすめ志満子サンだそうです。 そしてこの茂周さんの弟が鴨居の高橋家に養子に行った善七サン。 高橋家と言えばあの赤い墓石の高橋家。 墓所の一角にこんな墓石が。 通称小泉屋弥兵エ養子也 なんとこの方があの小泉純一郎元首相の祖父に当たる方だとか。 うむむ。人の世のつながりって本当にフシギよね。 ~赤門~長屋門 この日はお天気ばりばりで、本当に暑かった。真夏のように暑かった。 そのメチャメチャ暑い晴天の下、わざわざ回り道して見せてくださったのがこちら。 いったいなんのかというと、「夜明け前」の青山半蔵(藤村の父)の先祖、永嶋家だったそうで。 藤村の父は分家だったようですが、そうか、あの「半蔵さんにゆかりのあるお家(というか門?)なのね」 見たときはあまりの暑さでイマイチ感動も薄かった(スミマセンッ)けど、こうして落ち着いて眺めると ナルホド凄いフシギな縁ですなぁ。 ~聖徳寺~ 浅羽家墓所 会津藩家老田中土佐の娘コノの嫁ぎ先、浅羽家の墓所。 コノさんは先の小川茂周の紹介(?)で浅羽家に嫁いだようです。 さらにその娘ゆきの墓所でもあります。 この「ゆき」さん、藤田家に嫁いだと言うのです。 「藤田」と言うのはモチロン斎藤一サンのコト。 ゆきが嫁いだ「藤田氏」はハジメサンの次男剛(強とも)だと言うのです。 さらにゆきと剛の次男統衛は浅羽家に養子へ行ったらしい。 墓碑には 明治三十四年三月二十八日 俗名此子(行年四十一才 コノ) 昭和四十八年三月二十日 俗名ゆき 行年七十九才 平成七年四月二十六日 俗名統衛 行年七十七才 とあります。 …アレ?剛は? それにしてもゆきサンが亡くなったのが昭和。 統衛サンが亡くなったのが平成。 最近だよねぇ。 そしてハジメサンは本当にナゾの人物です。 ご本人の身元はモチロン、次男の墓所までも不明です。 長男は会津の墓所にご一緒に居られますが、次男剛はどこに眠っているのでしょう。 ゆきサンとの結婚が破談になったと言う話は聞きませんよねェ。 ナゾは尽きないけれど、この寺もスゴイ。 坂の上の階段の上。ふぅ。 何度も言うけど本当にアツイ日だったのです。 ここは永嶋家の菩提寺でもある。 なんというか。つくづくエンってフシギね。 ~勧行寺~ 入ってすぐ誠の旗が。 な、何故~~ッ? ・近藤内蔵助長裕 智正院顕隆日理居士 文化四年十月十六日 卒 天然理心流始祖近藤内蔵助の墓所でした。 お参り来たのは実は違う人だったのですが、まぁ、良いか。 とにかく、本当に暑くていつにも増してのだめっぷり。 連れて行ってくださったDさん、いつも本当にありがとう。理解が遅くて本当にスミマセン。 この横須賀行きがあったので、フクザツな藤田家の事情が漸く飲み込めるようになりました。 しかし、本当にハジメサンは不可解。 ここ横須賀へ行ったのは実は9月10日。 その後23日に会津へ行った時、藤田家関連の写真にこの「ゆき」さんが写っていることを発見。 いやぁ。驚きだ。エンって本当にフシギね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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