|
カテゴリ:会津への道
「高須四兄弟」新宿・荒木町に生まれた幕末維新
高須家の有名な四兄弟は新宿で生まれたのだ。 幼少の時を新宿で過ごし、それぞれ他家に養子に行き養家に尽くすのだ。 それぞれに有名なこの方々、だけど四人兄弟から見た幕末というのはちょっと興味がある。 内容自体はそんなに目新しいものはなかったけれど、視点が違うと違うものも見えてくる。 この方々に限らず、大名と呼ばれる方々はみな教養が深い。 書でも画でもとても素敵。 嗜みだからと言ってしまえばそれまでだけど。 なんというか。 こういう人たちがニホンを動かしていたのだ。 この四兄弟、それぞれに思い入れもあり、いろいろ思うことも多いのだ。 でも基本は「大名」だという事だよ。 慶喜もそうだけど、殿様なんだよ。 いい意味でも悪い意味でもね。 そんな中でやっぱり目を引くのは明治十一年に撮られた四兄弟の写真。 今とは写真事情が全く違うとはいえ、四人ともそれぞれ全く違うものを見ているこの写真。 皆、洋装で幕末を思わせるものは何もない。 それでも。 四人がそれぞれ過ぎ去った時代を自分の眼で見ていると思うのは 考え過ぎなのかしらね。 決して安くはなかった(だろう)写真代はは四人できっちり折半だったとか。 なんだかじっと見ていると泣けてくるのデス。 そしてもう一つ。 三の丸尚蔵館所蔵という、明治天皇の発案で収集されたという、写真帖。 なるべく洋装で。との思し召しだったらしいのだが、容保公は風折烏帽子、大紋の武家の礼服姿なのだ。 この時、容保公四十五歳。戊申から十年。 どんな思いでこの衣装、この写真に納まったのか。 そんなところにもいろいろ感じてしまう訳ですヨ。 会場となった新宿歴史博物館は津の守坂のすぐ隣。 そんなわけでもなかろうが、四谷のご生家も結構詳しく展示されていた。 今はもう面影もないけれど、七万ヘクタールという広大な敷地に風光明媚な佇まいだったという、上屋敷。 ずっとずっと以前に行ったね。 また行きたいね。 図録がまたなんだか立派なのよ。 ちょっともったいないくらい。 論考とかも載っていて結構興味深く読みました。 この新宿歴史博物館。 ちいさいけれどお庭にはコヒガンサクラがあるのだよ。 春にね。また来たいよね。 新宿歴史博物館にて。11/24まで。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2014年10月01日 00時40分31秒
コメント(0) | コメントを書く
[会津への道] カテゴリの最新記事
|
|