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カテゴリ:会津への道
久しぶりに、ようやく行かれました。
念願の、会津。 今回はまず、土津神社にお礼を。 久しぶりだよ、新幹線。 実は前日ぜんぜん眠れなくてオメメギラギラでした。 磐越西線でまずは猪苗代へ。 なんか、ドキドキするよぅ。 駅前は結構賑わっていてはてはて?と思ったら なんでも猪苗代ハーフマラソンがあるとのこと。 なるほろ。 紅葉が、始まっていました。 鎮石のまわりはぐるりと回れるようになっていて、ゆっくりゆっくり 巡ってきたよ。 拝殿まで降りてきて、そこそこに染まり始めた山を見上げる。 まだまだ見頃には早いんだろうけど、私の目には本当にキレイに見えた。 山も。神社も。 で、泣けてくる。 まだ会津にも到着してないのに、泣けて泣けて仕方なかった。 出来るだけ丁寧にお礼を申し上げ、新しいお守りを頂きました。 御朱印も。 そして願いを叶えていただいたお守りはお返ししました。 同じお守り、売ってたんだけど同じものとは思えないほど色が違ってた。 え。こんな色だっったっけ?ってほど…笑 握り締め縋り付いたからなぁ。てへへ。 新しいお守りはふたつ買いました。 共に戦う仲間にも。 今回の挑戦は本当にいろんな事に気づかされましたな。 ひとりで頑張ってると思ってたら、いつの間にか周りにたくさんの人がいて、 共に同じ方向を向いて、共に背を押してくれた。 自分もそんな風に、誰かを応援したいと、誰かのチカラになりたいと思いました。 応援がチカラになるってこと、実感したし、涙が出るほど嬉しかった。 そんなこと思ってたらもう…笑えるほど泣けてきた。 ま、そんな気持ちも空腹を満たしたらがっつり元気を取り戻しましたけどね。 なんとなく食べた普通のラーメンだったけど、やたらと美味しかったよぅ。 そして、そしていよいよ会津へ。 宿に荷物を預けると、チャリを借りて一目散にまずは「阿弥陀寺」 一応、ご先祖様へお参りせねばね。 でも行ったら驚いた。 先月のお祭りの名残なのか、常設なのか、境内に屋台が…\(◎o◎)/! は? な、な、なんですか?!コレは? 気を取り直してご先祖様へ報告とずっと来なかったお詫びをして、フト見たら。 御三階が開いてる! なんかいろいろ変わってるぅ! おそるおそる近づいたら人が寄ってきていろいろ解説してくれるの。 マサカと思って聞いたら御朱印も頂けるとのこと。 以前はなんだかんんだと頂けなかったのだが…。 う~ん、フクザツな気持ちです。 藤田さんにもちゃんとお参りをしてから「長命寺」へ。 ここ、いっつも迷う。 小学校の方から来ると入れないのわかってるのに、なんか近道に思えて いつもまっすぐ行っちゃうんだよね。 で、結局戻って入りなおすという…。学習しないなぁ。 そして相変わらず、道が悪いなぁ。 自転車コワイよ。 会津の街をふらふらしながら、城へ。 なんか武者姿の方がいて、なんとなく眺めてたけど切なくなってきたので 急いで城へ登った。 歴史を辿りながら、観光客の会話もちらちら聞こえてくる。 やっぱり幕末あたり、白虎隊のあたりは人も多く熱心にみてるけど 明治になるとガラガラ。 いやいや。 あの幕末を経験した会津藩士たちがどんな明治を生きたのか見てよぅ。 しばらく城でうろうろしたあと、一休みしに「麟閣」へ。 抹茶を頂きしばしぼんやり。 そのぼんやりしたまま暮れていく夕日を眺めてた。 思いついて城の弓道場へ行ってみた。 ちょうど練習が終わったようで中学生?高校生?の方々が弓矢を持って外にいました。 もっと早く来たらお稽古、見れたかも。 残念な気持ちで未練がましく眺めてたけど、指導者はいないようで、 みんな弓に寄りかかってケータイみたり、弓で遊ぶような素振りも見えてちょっと、いや、かなりがっかり。 学生さんたちのマナーの悪さは東京もがっかりかりかりだけど、 マサカ会津もそうだとは。 会津の方々にはただならぬアコガレがあるので 清く正しく美しいヒトばかりと勝手に信じてる(笑) 現実を見せつけられたキブンでした。 少しオトナにならないとね、ワタシ。 それにしても 街のアチコチに「八重」のポスターがたくさんある。 思いついてスーパーにも寄ってみた。 「身不知柿」はまだ早いのね。 そう言えば「菊」って会津の名産だよね。 昔よく母が菊の酢の物を作ってくれたのをふと思い出した。 そうそう。会津行ったら欲しかったものがある。 「豆麸」 東京には売ってないもの。 こづゆには欠かせない豆麸。 ちゃんと買いました~。 最近あまり体調が良くなく(年のせいで)熟睡できない。 夜中に何度も目が覚めて眠れなくなる。 でも会津は。 やっぱり会津はぐっすり眠れたわ。 宿は定宿(笑)いや、いつも止まる宿。 朝食が付いてるのだ。 会津コシヒカリ おいしかったけど口内炎3つにはツライ。 半分くらいしか食べられなかった(泣) ひとつお寺によってから 院内に行きました 紅葉! そして容保公の墓所の脇、松平家の墓所に看板が。 照姫さんがここにいるよっていう、看板。 大正6年、容保公がここに改葬された時、一緒に改葬されたのだけど なぜか墓誌から削られてしまっていたのだ。 良かった。 本当に、良かった。 院内からひと仕事してから天寧寺へ。 近藤さんの墓所と、土方さんの墓碑へもお参りを。 そう言えば早乙女貢さんもこちらに。 そして古川家へもお参りしました。 時間に余裕があったので融通寺にも寄りつつ、そろそろ帰路へ。 昨日は割と穏やかなお天気だったのに、今日は風が強くて、寒い。 電車もどうやら遅れがちのようで、ちょっとした嵐のようになってきた。 こんなふうにのんびりを時間を過ごしたのは久しぶり。 ずっとずっと追われるように暮らしてきた。 漸く一息ついたけど、まだまだ道は長い。 でも あせることはないさ。 残された時間は短いかもしれないけど、大丈夫。 もう、大丈夫。 ちゃんと自分のペースでやれるから。 いま、この時期。 会津に来られて良かった。 本当に良かった。 森羅万象、すべてにどれだけ感謝したら気持ちが伝わるのかしら。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015年11月03日 01時02分42秒
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