カテゴリ:「歴史」を学ぶ
以前にも書いたような気がするけど、私は学校で「近・現代史」を勉強した記憶があんまりないんですよね。もう30年以上前のことなんですけど。
中学校の歴史は駆け足で明治維新・自由民権運動・日清日露戦争・大正デモクラシー・昭和初期・太平洋戦争くらいまでやったかしらね・・・あとは「公民」の中でやってたような気がする。 高校にいたっては、「日本史」は江戸時代の町人文化、「世界史」はフランス革命で本体の授業は終わっちゃってる。あとは受験対策の補講で、日本史だけかろうじて満州事変・5.15事件あたりまでたどりついた(共通一次試験の範囲がそこまでだったから、ということだった記憶がある。歴代首相の頭文字を犬養毅まで覚えた…「いくやまいまいおやいかさかさかやおてはたかやきかわたはわい」)。その先の現代史はやっぱり「政治・経済」の範疇だったかな。そっちは受験科目にはしなかったのでもっとおぼろげな記憶しかない。 でも、昭和50年代の話なので、「第二次世界大戦」と「戦後」はまだ「歴史」というよりもっと生々しいものだったんだと思います。軍隊経験のある先生もまだいらしたしね。 親は学童疎開の世代で、母方の祖父は召集で南方戦線に行っていたし、父方の祖父母は戦前朝鮮半島に渡り、身体を壊したので早く日本に帰ってきたために戦後の過酷な引き上げにはあわずにすんでいるけれども、祖母の女学校時代の仲良しさんは引き上げに相当苦労したという話も聞いている。 子どものころ、上野動物園に行ったりすると、白い着物をきてアコーディオンを弾いている「傷痍軍人」を見たこともある。母から「じっとみるもんじゃありません」なんて言われたりして、それでも、その人たちの意味ってものはなんとなくわかるだけのものが日常にあったんですよ。特に「勉強」するわけじゃなくても。 でも、今はそうはいかない。 私の中学生時代からさらに3*年の時間が経過しているわけで、赤紙で召集されて戦地へ赴いた方は、80歳代、90歳代を迎えておられ、そろそろ『戦争を知らない子ども経ち』のお孫さんが中学生になってきていますからね。 教師も親も祖父母世代も「戦後生まれ」になっているから、まさに「戦後」は近・現代史の範疇として、資料を通して学ぶものになっちゃったんですよね。 『ドラえもん』のコミックスに、のび太くんがタイムマシンで学童疎開していたお父さんの様子を見に行くエピソードがあったけど、あれがいまだと、家族から聞くことができたとしても、おじいさんからになってしまう。戦争について生の体験談を語れる人はだんだんいなくなっていく。 しかも、今の高校生は「ベルリンの壁崩壊」以後、高校1年生は「ソビエト連邦共和国」が無くなってしまった翌年生まれ・・・「ポスト冷戦時代」に生まれているわけだから、変な話、映画の「007」の世界だって「歴史的背景を勉強しないとわからない物語」になってしまった。香港返還はとろろ丼さんが生まれてからの出来事だけど、これもまったく知らない人がこれからでてくるわけだよね・・・・・ 20世紀になってからの世界の動き、社会の様子は、ドキュメンタリーもフィクションも、問題提起作も娯楽作品もいろいろな映像作品が残っているし、文章も私的なものや公に出版されたものもたくさん残っている。ネットがあるし、それらの情報・資料を手に入れるのも難しいことじゃない。だから、これから大切なのは、それらの資料をどう見ていくのかのリテラシー教育なんだと思う。 にほんブログ村 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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