~障害者自立支援法ブログより~
障害者自立支援法訴訟の勝利をめざす兵庫の会ニュースNo22009 年7 月1 日
原告 田中猛志(母・昌子)さんの意見陳述
障害者自立支援法がスタートしてから全国の障害者が応益負担の制度により、生活や命を守ることに国から見離されてきたのではないかといきどおりを感じ、原告に名乗りでました。
長男猛志は42 歳、重い知的障害を持ち、身体的にも機能が充分でありません。痛くても痒くてもお腹がすいていても言葉はありません。
ごはんを食べる時はテーブルの所まで連れて行ってやらなければなりません。食事が並べられていても、本人にスプーンを持たせていますが、すくうのができないので、彼の手の上から、手を添えて-さじ-さじ介助してやらなければ口には入りません。排尿も全面介助と言ってもいいと思います。
トイレの場所が分からないので、そこまで連れて行き便座に座らせ、やっと排尿体勢です。時間を見て連れて行けば成功する時もありますが、うまくいかない時の方が多く、紙オシメをしていない時は、身体を洗ってやったり、汚した所の掃除や洗濯などをしなければなりません。こうしてその後をきれいにしてやっているから、本人も気持ち良く過ごせるのだと思います。
大きな楽しみは外出です。心も身体も弾んでいます。
特に車が大好きです。が車の怖さが分からないので走ってくる車に向かって行ったり、歩道を歩いていても車道へ車道へ身体を持っていきます。
段差につまずいたり、階段から落ちそうになったり、電車とプラットホームの間に足を突っ込みそうになったりと、介助者が居なければとっくに死んでいます。
てんかん発作がほとんど毎日あり、立っている時や歩いている時にケガを伴うような発作もあり、介助者は気をゆるめることはできません。夜中も毎日何回も発作があるので発作の観察や、オシメ交換や背骨が曲がらないよう体位交換もしてやらなければなりません。
昼は作業所に通っています。
運びの作業をしたり、障害のある仲間と目と目で合図をしたり、そばに寄って行ったり、よだれを拭いてもらったり等など、楽しみや喜びを一杯一杯味わっています。そして大きな成長をしています。平日はケアホームに泊まっています。同じように泊まっている仲間の動きを目で追ったり、ひっつきに行ったり、皆とワイワイ言いながら食事をしたりして、楽しく自立への道を歩んでいます。しかし食事・風呂・排尿便・夜中の介助・着替え・洗濯・掃除・遊びの相手・健康管理等々 、殆どすべてにたいへんな介助を受けています。
障害者自立支援法が施行されてから、これらの支援を受けるのに利用者負担が課せられるようになりました。
確かにこれらの支援をしてもらうには人件費など沢山の費用が発生します。しかしこの費用の一部といえ障害者自身に課すのは間違っていると思います。
健常者が忙しいからお手伝いさんを頼むのとはワケが違うのです。この支援は生きんが為の支えであって、健常者の0 のレべルに到達する為の支えです。
彼らは一生懸命頑張っています。でもできないのです。そしてなによりも命に関わるから支えてもらっているのです。賛沢や無精をしているのではないのです。その為の費用は全部社会で、つまり国が負担すべきです。
健常者の家計簿には、この支え代と言うメニューはありません。
弱き人・一人では生きていけない人を積極的に支える事ができるのは、人間が持つすばらしさです。それが国であり、政治ではないでしようか。負担を平等にと言って、生きんが為のこんな支えにまで平等の考えを持ちこむのは、酷であり、障害者の不便さを理解していないと思います。利用者負担金を払わなくても、下着代やタクシー代など余分な出費がいります。
障害を持って毎月を生きて行くことはどれだけ不便でたいへんでつらいか。
小学部5 年生のとき腹膜炎をおこし、6 年生の時は腸閉塞、即手術でしたが「お母さん痛いよお」と一言も言いせんでした。健常者がこんな苦しさや言葉も伝える手段もない日を1 日でも耐えられますか?わが子は小さい頃からずっと続けています。そしてこれからも続くのです。
猛志は小さい頃から、障害が重いゆえあちこちでその進路も阻まれ続けできました。幼児の障害児通園施設も入れませんでした。私が腰痛のため児童の入居施設に預けようとしましたが、すぐには空きがなく、5 歳の時やっと入所できました。しかしてんかん発作が増えたことや、職員不足などがあり1 年半後に退所をうながされました。やむを得ず引き取りました。その時小学部1 年の年齢でした。てんかんが多いこと等で養護学校には行けませんでした。つまり1 年2 年は就学猶予でした。 養護学校には3 年生になってはじめて入学できたのです。家でも遊びが増えたり大きな発達がありました。
養護学校高等部進級も危なかったのです。その頃どんな重度の生徒も全員入学させようという運動が活発に行われ、猛志もその運動が無かったら落ちていました。
猛志が高1 の頃、施設作りの呼びかけがあり、私は飛びつきました。4 年間の運動の後、小規模作業所をメタートすべきとなったのも猛志の存在が大きかったです。
小さい頃発達の遅れも大きく、将来のことを考えると涙が出て出てたまりませんでした。親子心中しようと、その頃は死ぬ方法ばかりを考えていました。
そんな重度のこの子が沢山の人の支えを受けて、生き生きと今を生きています。あの時殺さなくて良かったと思っています。
最後にもう一度言わせて頂きます。
利用者負担金が1 割だったらいいのではなく、また軽減措置がなされて低い金額だったらいいのではなく、障害者の安心のための、命を救うための費用は全額公的なお金でまかなうべきです。こんなことにこそ税金を使ってほしい。その為に税金を払っているのですから。親に負担させるのはおかしいです。
この障害者自立支援法という法律は、あまりにも障害者の生きたいという気持ちを阻んでいます。この法律は一旦廃案にして、障害者権利条約に見合った法律を作って頂きたい。
どうぞこの子らが生きていてよかった。これからも生きたいと思ってくれるやさしい日本であってほしいと訴えます。