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松田です。舞鶴へこの週末いっていました。日本海の重量級の海と空を、体で感じてきました。舞鶴でがんばっている女性たちも重量級だった。嬉しかった!ありがとう。
次の日本海は、2月の加賀だ。いろいろ感じてこよう。 今日は、杉山千佳さんが書かれた「本当のこと」を読んで、私のアンサーブログ。 本当のことを言われて飛びのいたとしても、たぶん、誰も「聞かなかったこと」にはしないと思うのです。 言ってくれるということがどんなにありがたいことかを知っているから。 相手に対してモノを言う、ということは、相当エネルギーがいるんだ。 その覚悟の上で言ってくださっていると知っているから、痛いけれど、受け止めようとがんばる。 そして、それは、ほめられたいから、とか、言ってくれた人(たとえば千佳さん)に評価されたいから、ということではなく、やはり、地域を良くしたいから。 千佳さんからするどい「本当のこと」を言われて、飛びのく人が多いことは私も感じます(笑) 私もしょっちゅういなくなりたいときがあります、がはは。 でも、「飛びのいた」人たちの中にも、必ずや何かが残り、長い時間がかかったとしても、何かしら「変化」がおきているのではと私は考えます。 時間がかかっていては意味がないのかもしれないけれど、 次への何かにつながることもあるかもしれません。 そういう意味では私は、人への諦めが悪いのです。 「信じて待つ」だけでなく、はげまし、寄り添い、ともに進む姿を見せていく、 ということなら、たとえその場では飛びのいた人たちに対して 次に、私ができることかな、と思っています。 (役割分担か。それじゃ私、おいしすぎるかな?笑) ------------- 杉山千佳という人は、誇り高き姫なのに、そのドレスを泥だらけにしながらも自ら、 茨の道なき道を、ナタふりまわして切り開いています。真剣に。 (あくまでも私のイメージね。想像してっ) 同じ道を、後ろから通らせてもらうこともあるし、 違う道を同じように自分が切り開かなければならないときもある。 その道がせますぎて通れないときは、他の誰かが、もっと広げながら次の誰かがのために折りやすくしてくれているときもある。 (ひっそりめだたないようにやっているけどそれがすごくありがたいし、むしろそのほうがすごいことだってある) 少しずつだけど、そうやって、お城(4つ葉)に集まっているんだと思います。姫さまの帰還を信じて待つこどもたちもいます。(姫を迎えにいくこどもたちもきっと育つでしょう) そして「本当のこと」はひとつではないかもしれない、ということも、私は考えます。 疑うということでなく、さらに一緒に求めていくという感じ。 一人で見た「本当のこと」を、今度は複数の人間で肉付けしていく。 時間が経つと変わるかもしれない。 見つめていくと新たな真実が現れるかもしれない。 見届けていくには、時間と手間隙がかかります。 でも、それをいちいち振り返って見届けていたら、 切り開いたはずの茨が育ってまた道がふさがれちゃうから。 それは、他の誰かがやってくれているか、顔を思い浮かべておくくらいにして、 姫はひたすらナタで茨を切って進むのです。 ひっそりと後ろから道をひろげているひとたちは、ひっそりもいいんだけど、 時々ここにいまっせ、と声をだしてください。 そうしないと姫は孤独だと思い違いして、悲壮感あふれる旅になってしまいます。 道は、次のひとたちが踏み固めておいてくれないと、 姫が帰ってくる道もなくなります。 旅は、帰りが大事なのです。 あぁ・・・なんだかわけがわからなくなってしまったので今日はこれでおしまいにします。 すんません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
January 28, 2008 01:15:09 AM
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