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カテゴリ:當間紀子(子ども幸せ研究所)
こんにちは、當間です。
今年のGWは珍しく家族旅行に出かけました。 立山黒部アルペンルート。 雪の大谷と呼ばれる10数メートルの雪の壁を通って、 標高2450メートル地点にあるホテルに泊まり、 翌日は高度経済成長を支える礎となった黒部ダムを歩き、 再び立山黒部アルペンルートを通って、 これもまた黒部ダムとゆかりのある宇奈月温泉へ。 宇奈月と言えば、温泉よりもトロッコ電車、 黒部川流域の発電所やダム建設のために活躍した 黒部渓谷鉄道のほうが有名かもしれません。 立山黒部アルペンルートもトロッコ電車も、 黒部川流域の電力開発に伴う工事のために整備されたもの。 いずれもダム建設の資材などを運ぶのが目的でした。 大変な難工事の連続だったようですが、 今では秘境探索と自然観察の名所になっています。 また、立山はかつて女人禁制だったところ。 その頂上近くに女子どもも泊まれる施設が出来ること自体、 大事件だったかもしれません。 今となっては「そんなこともあったのね」と 気に留める人なんて誰もいないかもしれないけれど。 そんな昔話を持ち出すのには少々訳があって。 雪の大谷を訪れるのは長年の夢でしたが、 宇奈月温泉には25年ほど前に 出張のついでに泊まったことがあるんです。 ある企業の健保組合機関誌の仕事で、 全国にある支社などに勤務する社員のご家庭を 取材して、その溌剌とした様子を紹介するというもの。 鉱業系の企業だったので、 鉱山や製錬所勤務の方への取材もありました。 宇奈月へ立ち寄ったのも、 大阪・富山での取材を済ませた後のこと。 11月半ばで冷たい雨が降っていました。 今回、娘と露天風呂につかりながら、 前回来たときは女湯は狭くて とても貧しい造りだったことを思い出しました。 温泉に入るためにお客さんがやって来るのだから、 当然、宿のウリは大浴場のはず。 でも、当時は男湯は立派でも、 女湯は貧弱な宿が多かったように思います。 お風呂から上がって、そんな思い出話をしたら 「昔は温泉なんて、男の人しか行かなかったものね」 と母が頷きながら言いました。 あの頃、独身の身軽さで、 友人といくつかの温泉を旅しましたが、 女湯と男湯の“格差”解消のために、使用時間帯を分けて、 両方の浴場を堪能出来るように計らう 宿がどんどん増えていました。 バブルに向かう勢いもあって改築も進んでいましたし。 温泉を訪れる女性客の増加を 無視出来なくなっていった時期だったのでしょうね。 今では、女湯の方が立派な宿さえあるくらいで、 女性にアピール出来ない宿なんて生き残れないよ という感じ。 まさに隔世の感があるなあ。 薄暗い北側の台所が、 南向きの明るいダイニングキッチンへに変身して、 女性の家庭内における地位が向上したのと同じように、 温泉宿の大浴場の造りから、 女性の社会的地位向上の変遷が伺える、 なんて言ったら、言い過ぎでしょうか? 同じように、子どもに配慮したサービスだって、 かつてとは雲泥の差。 ハードからソフトへという産業構造の変化も見逃せないな。 立山の環境を守るために、徹底したゴミ管理と 一般車を立ち入れさせない交通ルートの整備。 ダム建設のためにトンネルや道路は作ったけれど、 それ以上のことは一切許さない徹底ぶりに、 環境保全のお手本を見たような気がしました。 下界の方でも、 人に優しい社会構造実現にシフトさせないと ダムが泣くんじゃないか、 なんてことまで思ってしまいました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
May 7, 2008 06:34:16 PM
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