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カテゴリ:當間紀子(子ども幸せ研究所)
こんにちは、當間です。
何かと言うと、勝ち組VS負け組、 企業VS消費者、医師VS患者、教師VS保護者という 対立構図が描かれてしまうのは何故なんだろう。 お母さんはすっぴんで髪の毛振り乱しながら 子どもをおんぶしているもの なんていうの、今じゃギャグにもならないけれど、 かつては、そう描いていた漫画は多かった。 保育士はいい人だ。 看護師は白衣の天使。 ほんとにほんと? どうもね、実像とかけ離れたイメージが一人歩きしていて 社会をややこしくしているような気がするんです。 出版社に勤め始めた頃、 先輩にこんなことを言われました。 「あなた、お父さんが医者だから、 お医者さんのこと怖くも何ともないでしょう? いいなあ。僕は医者が苦手なんですよ。 だって偉そうにしてるし、怖そうでしょ?」 はあ、確かに、 家にいるときはステテコ姿でくつろいでいて、 おやじギャクを連発しては笑われている ほがらかなおじさんだけど、父は医者です。 関係ないけど、博士号なんてものも持っていて、 子どもの頃は 「博士なんて、みんな偉そうに言うけど、 家でステテコはいてるのよねー」 なんて思ってました。 でもね、医者としての父が 患者さんにどのように受け止められていたのかなんて 実のところはよく知らないのです。 それに、病院の診察室でお会いするお医者さんって、 なんだか怖そうですよね。 にっこり笑って迎えてくれる人もいるけど、 診察中は苦虫をかみつぶしたような顔をしているし、 家でおやじギャグを言ってるとは とうてい思えない。 何か質問をしようとすると、にらみ返す人もいるし。 怖い! 話、通じなさそう。 ただ、父や怖い人を含めた医師みんなが 医療の現場にいて、 どんなに手を尽くしてもかなわぬ事態に 何度か直面していることは知っている。 人は一瞬にして、その容態が急変することがある。 当直では、大出血の重傷者や 今にもどうにかなりそうな急病人が 飛び込んできたりする。 人が急変する現場にいるのに、 どうして冷静に対処できるんだろう? 恐ろしくないんだろうか。 携わっている仕事と、家でくつろぐ父の様子には、 かなりのギャップがあります。 確かに人はいつか必ず死を迎えるものだけれど、 そこに関わる自分を、どう受け止めているんだろう。 のほほんとしている妹が医学生になったとき、 「ねえ、日記を書いておいてくれる?」 とお願いしました。 こののほほん娘が、 人の死に立ち会っても冷静さを保てる 医者になるのか。 だったら、どのようなプロセスを経て 医者に変貌していくのか、知りたい。 教養課程のレポートですら「ねえ書いてよお」と 姉に懇願してくるような人ですから、 日記はほどなくして頓挫してしまいました。 3年生で解剖の講義が始まったとき、 妹の様子が変わり始めました。 人のからだの細部を、リアルに観察し続ける1年間。 あれが食べられない、 それを見ると(からだの中の)何かを思い出す、 花柄のワンピースはナントカ組織に似ている……。 始終ぶつぶつ言っています。 感情にシャッターを下ろして、理性のみを働かせる。 そうでもしなければ冷静に対処なんてできない。 まずは、リアルなからだの内部に慣れさせるのかな。 (ううっ、気持ち悪そう。ごめんなさい、許して) 無事、国家試験に合格し、 研修医として現場に出た頃、 話してくれたのはこんなことでした。 朝からずっと外来の診察にかかり切りで、お昼ご飯もなし。 夕方近くなって、つい、 そのことを患者さんにもらしてしまいました。 それをきいた患者さんがパンを買ってきてくれました。 事情を察した看護師さんに、思い切り叱られた。 「先生、そんなこと患者さんに話しちゃダメでしょ。 患者さんの前で医者はもっと威厳ある態度でいなきゃ。 ほら、背筋をピッと伸ばして」 まあね、20代前半の若い女の子ですから、 それでなくとも、「大丈夫なの?この人」と 頼りなく見えるでしょう。 それにしても、「威厳」なんて、 どれほど当時の妹になじまない言葉だったことか。 そう言って笑っていたのは、 家族だったからかもしれない。 真剣な人って、はたで見てるとかなり怖い。 診察中に苦虫をかみつぶしたような顔になるのは、 「この所見から、どういう疾病が見いだせるのか?」 と、真剣勝負しているからなのかな? 質問しようとしてにらまれたのは、 「この疾病の場合には、どういう治療が必要で どんな薬を処方すればいいのか」 と真剣に思案中だったから? 真剣な表情をしていれば、威厳があるように 見えてくるのかもしれない、かなあ。 でも、それって、ただの誤解じゃん。 もちろん実際にその人柄がよいからと言って、 職務が全うできているという判断理由にはならない。 思わぬアクシデントが起きたとき、 きちんとした説明が求められるのは当然だし、 相手にわかるように説明できなきゃ、 その相手の信頼を損ねてしまう。 ものごとを解決しようとしてやり方を間違えると、 こじれてしまうのは当たり前のことではあるけれど。 虚像と実像。 虚像に振り回されたくはないな。 すべての人とじかにお会いして お互いがわかりあうというのは不可能だけど、 自分の眼鏡のくもりくらいは きれいに磨いておいて、 言うべきときには、「それ、違うよ」と きっぱり言えるようでありたいなと思うのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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