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松田妙子です。あこがれの青森を訪ね、熱いオンナたちに出会ってきました。
青森では、人が来ることを「来青」って言うみたいで、 「松田さん、来青!」って、書いて宣伝してくれていた母たちがいて、 なんかそこに反応して嬉しくなっていた。 ちなみに、青森に帰ることは、帰省ならぬ、「帰青」っていうみたい。 いいな。 今度訪ねるときがあったなら、 きっとそのときは、気持ちは「帰青」です。みなさんよろしく(笑) 北の人たちの暖かさが、とっても心に染みます。 祖父が山形の人だったので、 小さいときからその言葉や文化でくるまれて育ってきた私。 ついでに言うと、東京に行くこと、「上京」っていうでしょ。 いつも違和感なのです。 そういう言葉のやりとりのなかに、どこか、東京の傲慢さを感じたりします。 夫は京都人だから、東下りじゃ、って笑うけど。 でも、東京で生まれ育った人間ががそういうふるまいをしているというよりは、 なにか、「つくりあげられてしまったモノ」ってあると思いませんか? 「今、こことうきょうにくらす私たち」が決しても思ってもいない思考、 それは実のない「東京」という魔物に、 知らぬ間に魂を喰われている人たちの仕業かも。 さてさて。私、寒い時期に寒いところに行く運命らしく その土地を肌で感じることが、ほんの一瞬でもできることが とてもありがたいなと滞在中に思っていました。 ふぶいて自分の周り全部まっしろで何も見えない景色、とか。 (何も見えないのに、景色って言うのかな?包まれている感じだから、 景色という感覚ではなかったな) いやー、すごかった。 でもそれがちっともちっともイヤじゃない。 東京なんてさ、自分の周り全部ヒト(@満員電車)なときがあるから 続けていけるということはどこか回路を切っているはずで、 ずいぶん身体感覚が狂ってくると思う。 そんな自然と付き合いながら、その土地ならではのくらしがあり、 子育てがあり、オンナの生き方があった。 それをほんの少しだけれども、であった女性たちから伺うことができ、 みんなでストーリーテーラーになっていこうと話しました。 語り部が必要なのです。 語り部は、語り継ぐだけでなく、新たなストーリーも 自分の言葉で「物語って」いきます。 そう、 語り部になっていくんだ。 歴史を残すのではなく、歴史の功績者になるのでもなく。 わたしがやってきた、わたしが残した、と人は言いたがるけれど それは、数量と時間の煩悩だとも思う。 残されてきた言葉に、私たちは注意していかなければいけない。 目に見える、文字に残されていく勝者のための歴史と、 語り部が語り、耳に残していく、還していく文化とは異質のものだ。 大事なことがいつの時代も「語り継がれた者のモノ」であるなら、 与える・与えられる関係の中で生まれるのではなく 還していく営みそのものなんだろうな・・・ なんだか支離滅裂になってしまいましたが。 私はどっちをやりたいのだろうか? 自問するにも及ばない。 私は語り部になりたいのだ。 私はやってきた、ではなく、こんな風にやってきた人たちがいる、 と伝えたいのだ。 うーん。まだまだ、うまく言えん。 そんなことをつらつらと考えながら、長い旅路を終えました。 青森のみなさんからも声を寄せてもらおうとおもっているので、 お楽しみに☆ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[松田妙子(NPO法人せたがや子育てネット)] カテゴリの最新記事
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