これから。
これからの僕の人生、どれだけの長さなんだろう?終わりが来るのはいつなんだろう。幸せと言えるだろうか?それとも不幸せだろうか。きっと出逢った全ての人を大好きだったとは言い難いだろう。でも、出逢った中ひとりであっても僕のことを必要としてくれた人間は居るのだろうか?僕らの生きる世界はホントに不思議な世界です。未来や、過去、宇宙や、言葉、人種、宗教、僕らを取り巻く環境は様々です。その最終地点に「死」があるのだろうと思います。でもたまに人間はその最終地点の「死」を怖がったり、望みます。僕らはそうやって生きていくとは言うけれど、それでいいのか分からなくなるときも屡々あります。地球上の人間、全てとは出会えないと言われています。もしも出逢ったならば、僕らはどれだけの人を記憶、想い出として残していけるんだろうか。結局は学校の名簿のように書かなければ覚えられないような、書いても覚えられないような、いや、書くことすらできないだろう。僕らが生きてきた地球は果てしなく謎に包まれています。謎だらけの星に生きているのに、僕らの存在価値だとか、僕らの思い、僕らが出逢った人たちの心中など分かるはずもないと思う。でも、時に人はそれを深く悲しんだり、深く思ったり気にしたりする。海はいつでも、波が押し寄せては引き返す。僕らの心臓もドクドクと波打つ。結局は何もかもが下がったりあがったり。人って結局そんなもんなんですか?僕が求めてきたモノ、君が求めてきたモノ、日本の反対側の人が求めてきたモノ、それははるか彼方あの音色と似ているのかもしれません。別に、焦ったりしないでって思っても言われても焦ってる。泣かないで、泣いても良いんだよ。涙は流れ落ちる。生きること、それは永遠のテーマなんですね。僕らは、その答えを見つける為に生きて、「死」を経験したと同時に感じるモノなのかもしれない。だからこそ、今を生きよう…とは思わない。生きてる間、僕が「死」」を意識しない時間、僕が「消えたい」と思っていない時間がもしも一瞬でもあるならば、この地球について何でも良い。本をあさったり、言葉を書いたり、音楽を奏でたり、愛する人に「愛」を伝えたり、勉強したり、意味のあるものにしたい。いつか、戻れるんじゃないかって、僕らが元気だった頃いつか、また頑張れるんじゃないかって行動に移せば悪循環で、僕は気が付いた。僕はね、僕のペースでいいんだと。「消えたい」と思ったって良い。人が「消えたい、死にたい言うなら早く死ね」と言ったって、僕のペースでいい。出来るときに、出来ることを頑張ればいいと思う。楽になった、考えられない。でも、それも僕なんだと。辛いときの自分も、楽しいとき、笑ってる時の自分も全てこの僕なんだと、思って良いですか?