モンテディオ山形メールマガジン
▲スポーツ山形21理事長 海保宣生より サポーター諸君へ「感謝の挨拶」スポーツ山形21 理事長 海保宣生2月21日(日)に120人を超えるサポーター有志の皆様が「慰労送別会」を開催してくれました。日曜日の夕方にもかかわらずお集まり頂き、心温まるたくさんのねぎらいの言葉をいただきました。また、過日は“2,646人”の方々から「理事長留任・又は何らかの形で残る事を求める」署名を頂きました。加えて、たくさんの方々から同様の趣旨のお手紙・メッセージをいただきました。 本当に!本当に!ありがとうございます。皆様の熱い思いは充分に感じました。 就任に際し、推薦者である川淵キャプテンからは、「3期6年!」との話を受けましたが、成果を挙げるにはそのくらいの時間がかかるだろう、という考えだったのだと思っています。私の中では、単身赴任での限界は「4年!」と考えていました。 案の定、3年目の夏に「心筋梗塞」を発症し入院・手術しました。元日本代表監督の「イビチャ・オシム」は夜中に脳梗塞を発症しましたが、隣のベットに夫人が寝ていたので一命を取り止めた、と聞きました。最近では、日ハムの小林 繁ピッチングコーチが単身赴任先から帰宅して間も無く心不全で亡くなりました。 4年間の職務で心身共に疲れ、これ以上続ける事は無理!と判断致しました。皆様方の温かい・熱い、思いは私にとって“冥利に尽きる”ものでありますが、事情をご賢察いただき、ご理解下さる様お願い申し上げます。 これからは、新体制のフロントとサポーターの皆様で力を合わせて、モンテディオを「山形県の宝物」に磨き上げて下さい。 私は肩書きなど無くても、必要があればいつでも駆け付るつもりです! 4年間は私にとって本当に充実していたし、幸運にも多大な成果を挙げる事が出来ました。偏に“皆さんの温かい励ましに支えられたお蔭!”と改めて感謝申し上げる次第です。皆さんありがとう!!!海保理事長ありがとうございました。。。ほんと悲しいです。。。昨シーズン最終戦の「ざま~~」の理事長の言葉・・・泣けました。。ほんとに感動しました。。関東のアウエーは必ずスタンドに見にきてください。俺も、出来るだけ行きますので・・一緒に応援しましょう。。海保さんのプロフィールを紹介します。。ウキペディアより。。東京都出身。立教大学経済学部経済学科を卒業。 住友金属工業に入社。東京オリンピックバスケットボール選手として活躍後、立教大学バスケットボール部監督。住友金属バスケットボール部監督を歴任。その後、1996年4月より鹿島アントラーズFC常務取締役として活躍(2000年10月まで)鹿島アントラーズFC退職後は、バスケットボール界に復帰し、2001年5月から女子バスケットボール日本リーグ機構専務理事、2003年5月から女子バスケットボール日本リーグ機構顧問に就任。2006年5月より社団法人山形県スポーツ21世紀協会理事長に就任。 モンテディオ山形(スポーツ山形21世紀協会)理事長として [編集]2009年シーズンに悲願のJ1昇格を果たし、圧倒的不利の風評を跳ね除け、見事残留を果たしたモンテディオ山形。その裏には海保の尽力があり、果たした功績は計り知れないものがある。2007年シーズン中、前理事長だった金森義弘の後任として、当時の日本サッカー協会会長の川淵三郎に招聘された海保だったが、当時のチームは2年連続でJ2下位に低迷しており、状況は芳しいものではなかった。中でも最大の問題は、チーム経営が約1億3000万円という大幅な赤字を抱えていたことだった。これはひとえに前理事長だった金森の経営計画のずさんさが原因だったのだが、その赤字の補填策として、J1昇格の為の準備金を取り崩さなければならなくなり、内外にその厳しい台所事情を露呈する結果となってしまった。まさにマイナスからのスタートとなったモンテディオだったが、そこから海保は手腕を発揮する。翌2008年はチームにとってJ2参戦10年目の区切りの年だった。この年、海保は大分トリニータをJ1に昇格させた実績のある小林伸二を監督に招聘し、チームの建て直しに着手。ストライカーとしての才能を開花させ始めた豊田陽平らの活躍もあり、チームは快進撃を見せる。公益法人で成り立つチームの特色もあり、運営資金は少ないながらも(主力の大半はレンタル移籍)、小林監督の得意とする堅実な守備をベースとした戦術はチームにフィットし、短期間の間にモンテディオはチームとしての力を高めていった。そして2008年のJ2を2位でフィニッシュ。前年、前々年と8、9位に沈んだチームが、前理事長の退任からわずか1年足らずでJ1に挑戦することになったのである。しかしモンテディオがJ1に昇格した初年度、シーズン前に行なわれた評論家によるJ1順位予想において、モンテディオは全員に最下位の予想をされてしまう。戦力、経験、その他あらゆる面において未熟なモンテディオの残留を予想していた評論家は、一人としていなかったのだ。だが戦前の予想を覆し、モンテディオは善戦した。J1初戦のジュビロ磐田戦では6-2とチーム記録に残る圧勝劇を見せ、その後も強豪チームと引き分けるなど、持ち前の粘り強い守備を軸に、シーズンを通して大崩れしない戦いぶりを披露。最終順位は18チーム中15位ながらも、降格した16位の柏とは勝ち点差5をつけて一年目のシーズンを終えた。そして、最終節。試合終了後の関係者挨拶の際に、雪の降りしきるピッチ上で海保が放った言葉はモンテディオサポーターの心を震わせた。「戦前の予想は、圧倒的な最下位!ざまあみやがれってんだ!」これこそまさに、弱小だったモンテディオをわずかな期間でJ1の舞台へと押し上げ、海保の後方に整列したモンテディオの選手達、関係者、そしてファンの笑顔が結実した瞬間だったと言えるだろう。