と、いうわけで、
本日は風邪も大分楽になりましたので、近所で娘を遊ばせました。
Pentax K-x
Tamron SP AF 28-75mm F2.8 Di LD Macro
しかし、残念ながら教会へは参れませんでした。
ところで、先日のCorcovadoなんですが、丁度良い機会なので、ボイシングに関連するもう一つのトピックをご説明しようか、と。Low Interval Limitです。まず、これを説明するために必要な、2つの基本的な事柄「倍音列」と「可聴周波数」をかるくさらってみます。他にも様々な説明があるかと思いますが、私の語り口で。。。
倍音列について
音楽の根底には、音響(工)学Acousticsという物理的なバックグラウンドがあります。これは実際に実験すると、毎回ほぼ確実に同じ結果が得られる、いわば引力などと一緒で、自然現象として実際に確認できる「法則」です。
んで、これがどのように音楽の基礎を築いているか、というと、倍音列Overtone Seriesと呼ばれる、ある1つの音を鳴らした場合、その周波数に基づき順番に現れる一連の音というのが、ほぼ全ての音楽理論の基礎となっています。それで、この順番に出現する周波数というのが、2倍、3倍というように、元となる音(基音Acoustic Root)の倍数となって現れます。
それをピアノの音階に近い形にすると、それぞれ基音に対して2倍音が1オクターブ上、3倍音が5度、4倍音が2オクターブ上、4倍音とそれに続く5、6、7倍音が7thコード、そして8倍音からの7つの音がリディアンスケールのような音となって現れます。詳しくは例によってWikipedia等を参考にしてください。
今ここで「ピアノの音階に近い形」と申し上げましたが、これは「平均律」とよばれるもので、倍音列に従って求められる12個の半音(純正律)というのは、等しい比になりません。したがって、ピアノの和音というのは、既に自然の法則から乖離しており、和音としては「濁り」が混ざっています。これは一聴してすぐに気付くものではありませんが、純正3度と純正5度から構成される和音と比べると、明らかに共和度が異なります。逆に、純正律の3和音とかは、共和しすぎていて、むしろ私などに言わせると無味乾燥にさえ聞こえてしまいます。
そんでは、なぜピアノを自然の法則通りの「純正律」に調律しないか、というと、純正律にしてしまうと、それぞれ12個の半音が異なる比となっていますので、転調が出来ない、すなわちある1つの調性でのみしか音楽が書けないことになってしまいます。曲中の転調など言語道断。つまり、我らがビッグ・ボス、J.S. Bachがインベンションの途中で転調する、ということが出来なかった、ということになってしまうわけです。
それを何とかしよう、というので考案されたのが、倍音列により求められた半音を、均等に割り振った「平均律」ですね。と、ここまでは楽典などでも取り扱われている内容です。
可聴周波数について
その一方で、人間が聴きとることのできる周波数帯というのは、一般に20ヘルツから20000ヘルツ(20キロヘルツ)である、というのが常識となっていて、オーディオ機器などのスペックを決定する際も、ひとつの基準のようになっているようです。お手持ちのオーディオ機器にも、おそらく「周波数特性」というスペックがあると思いますが、ネットなどでちょっと本格的な機種を見ると20Hzから20000Hzをカバーしている機器というのが多いと思います。CDプレイヤーなどは44000Hz付近までカバーというのが多いですかね。これはサンプリングのスペックによるものですが、これを再生するアンプ・スピーカー・ヘッドホンなどは、おおむね20000ヘルツ(20kHz)以下、というものが殆どでしょう。
しかしですねえ、「人間の」というあたりでお気付きの通り、この「可聴周波数」には個人差があります。人類が走った時の最高速度は、100メートルあたり9秒台である、といったら、それはある意味正しいかもしれませんが、誰もが9秒台で走れるか、といったら、決してそんなことはないのと一緒です。
ちなみに一般的に高い方の限界、20kHzというのは平均値か、というとそうでもないようで、これが聴きとることのできる人というのは、かなり限られています。
一方で低い方の限界、20ヘルツ付近というのは、「うなり」としては聴こえるものの、それが「音程」として聴きとることのできる範囲というのは、それよりも少し高い音となります。たとえばピアノを中心のドから順番に下がって行くと、徐々に音程を取るのが難しくなることからも分かると思います。これには弦楽器特有の、弦の質量等によるinharmonicという問題も関連しています。高い方の音程も同様で、高くなるにつれ音程は聴きとりにくくなります。
Pentax K-x
Tamron SP AF 28-75mm F2.8 Di LD Macro
ローインターバル・リミットについて
さて、ようやくローインターバル・リミット(LIL)についてです。LILという言葉は、ピアノやギターなどのコードが弾ける楽器や、ホーンなどでもアレンジをちょっと紐解こうか、といった場合、必ず問題となる事柄ですね。二つの音の音程が、特定の音域以下の場合、倍音が干渉しあって濁って聞こえる、というもので、それぞれの音程でリミットが設定されています。私はビッグバンドのアレンジが専攻でしたので、嫌と言うほどこれに悩まされてきました。
というか、実際にビッグバンドのアレンジを書いてみると、LILもさることながら、学校のクラスで学ぶことを全て守ることが出来ない場合が多いです。たとえばローインターバルリミットに引っ掛かっている音があるから、それをオクターブ上げて、もう一度ボイシングし直して。。。なんてやってると、今度は10本以上ある楽器のいずれかが、音域以外の音を吹くことになったり、あるいは音域は大丈夫だけど長いこと鳴らせないような音域に入っていたり、あるいはダイナミクスの指定がフォルテ以上。そんなこんなで、初めは「ここは4度堆積で決めてやろう、へへへ。。。」と思っていたものが、終わって見たら全然別のコードになってしまった、などなど、「あれを守るとこれが守れない」という月末の財布のようなジレンマとの戦いに苛まれます。実際問題としては、Tuttiなど書く場合はそうした数あるルールの「どれを犠牲にするか」ということが主題となる場合が殆どですね。
一方で、色々アレンジしていて気付いたことは、たとえばコンピングのピアノ、バックグラウンドの白玉ギター、ホーンのバッキングとかでもそうですが、音価が長い場合、LILにギリギリひっかからない辺りというのが、かなりオイシイ和音になるんですねこれが。喩えて言うなら、腐る寸前の果物とでもいうか、もうこれ以上は無理なほど熟れているカンジとでもいうか。
ちなみにギターでは、オープンポジションのCmajコードあたりなんかが、ギリギリLILにひっかかるか、ってところで、オープンポジションのGmajコードで6弦・5弦でそれぞれ「ド・ミ」とやると、LILの見地からは、完全にアウトです。
あと、特にギターで重要なこととして、ギターは移調楽器であり、譜面に書かれている音と実際の音では、1オクターブの違いがある、ということです。すなわち、楽譜通りに演奏すると実音よりも一オクターブ下の音が鳴りますので、実音で書かれたLILの楽譜を見ながら試してみる場合は注意が必要です。
また、LILに関連してよく勘違いされることとして、「それじゃあ、ある和音の3度の音をLIL以下で弾いたらダメ、ってことか?」ということですが、そんなことはありません。LILで問題となるのは、同時に鳴っている2つの音の音程であって、たとえばベースがヘ音記号の下にカセンが付くような位置でその時のコードの3度を弾いていても、その3度上で5度を弾いている楽器が無ければ大丈夫です。ま実際に聴いても、これっぽっちもおかしくありませんのですぐ分かると思いますが。
そして私の主張
このLILなんですが、前述の通り、「倍音」をその根拠としています。で、倍音同士の干渉というのは、仮想基音という見地から問題となる場合もある一方で、通常は高い方の音域で起こります。これが人間の可聴範囲に入ってくると、NG、というわけです。しかし前述の通り、人間の可聴範囲というものには、個人差があります。すなわち、その倍音同士の干渉とやらが聴こえる音程が、人によって異なる、ということです。
実際にやって見ると分かりますが、任意の音程を弾きながら半音で徐々に下がってくると、LILを超えた途端に、意を決したように濁る、というわけではなく、LILに向かって段々と濁りが出て来るのが分かります。しかもその「濁り」と呼ばれているものが、実は私が好きな和音の「味」だったりします。
LILというものを遵守すると、丁度、平均律のトライアドとくらべて純正律のトライアドがひたすら完全に協和する一方なんとなく「無味乾燥」的であるように、なんとなく「味が薄い」和音、といったカンジになります。
かといってギトギトで味が濃ければ良いか、というとそうでもなく、やはりチマタで言われているLIL付近のどこかで折り合いを付けるのが良いようですので、いわば「目安」みたいなものと考えるのが、より実践的だと思います。
さらに、どういった場合にLILが大きな問題となるか?というのもあると思います。たとえば、サックスのソリで、8分のメロディに対してメカニカルボイシングするような場合、メロディがちょっと下がる地点でどうしてもLIL以下の音程を書かなければならないような状況では、LILだかなんなんだか判断する間もなく終わってしまいますので、ほぼ問題とはなりません。むしろスプレッドで長い音価のコードを聴かせたい場合などに、そのLILいくかいかないか程度の「味」の効かせ具合が問題になると言えると思います。
さらに、私のサンプルCorcovadoのように、それを聴かせる、ということを意図することも出来ます。特にキックでキメる場合や、盛り上がった部分のソリなんかでも効果が大きく、私が大学で教わった先生は、ことさらにそうした強烈なサウンドを書いた譜面を授業で取り扱いたがり、授業で一緒に聴いて「ほらほら、ココココ!!すげーだろ!!」というのが毎回授業のポイントだったりしてましたね。
つまり、先生方は、「どうやってルールをぶっ壊しているか」というのを一生懸命説明したがっていた、ということです。
Corcovadoのメロディのモチーフ、2度離れた音程で行ったり来たりというのが、Fm-Emんとこで短2度になる、というところに着目し、そこへ向かって仕掛けた、というわけです。
ちなみに本題よりも広義の主張となりますが。。。
現在、キエフオペラの主席ホルン奏者であり、こちらの音大で教鞭を取っておられる方に、現代音楽のスコア分析を指導して頂いていますが、なんとこの方が12音技法で作曲した曲に、調号が付けられていました。調号とは、ト音記号やヘ音記号のすぐ後にあるシャープやフラットのことです。これでその曲の調性を指定します。詳しい説明は省略しますが、通常、12音技法と調号とは、相いれない関係にあるべきものです。
通常は考えられないことかもしれませんが、昨今作曲家として活動されている方々で調号を使う、というのは教育目的等限られた場合のみであり、私が卒業した音大では、調号使うと笑われました。
しかも12音技法で書かれた曲に調号というのは考えにくいですが、それでもその方の説明を聴いて、何物にも囚われない、自由な発想というものの大切さを再確認することができました。