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Oct 27, 2010
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と、いうわけで補足です。

「ケラレ」、「ケラレ」と訳の分からない用語を連発していますが、ちょっと解説。

というか、プロでも何でもない私が1年前に調べたことをそのまま書いてみます。

一般的に「ケラレ」というと、

1: 例えば広角レンズで内臓ストロボを使った場合などに、レンズフードでストロボの光が遮られてしまうような状態のことを指す場合と、

2: 撮影した写真の周辺部がグラデーションがかかったように暗くなるという、「周辺光量の低下」、英語でいうとVignettingという現象

のいずれかを指す場合があるようですが、私の用法は2番です。

たとえばこんな写真なんですが…



一見して、上辺が暗いなーという印象ですよね。実際、夕方なので、空は上側になるほど暗くはなっていましたが、この写真ほどは暗くありませんでした。

さらに、上辺だけでなく、写真の四隅を見ると、かなり暗くなっているのがわかります。

この現象は、Sigma 18-200mm F3.5-6.3では、特に絞りを開放で使用すると出易いようですが、レンズにより個別の傾向があるようです。 

さらに私の場合、ラティチュードの狭いリバーサルフィルムのような効果を得るため、コントラストを上げていますので、輝度の差が強調されています。

この現象は、とくに画像が小さいと分かり易いと思うんですが。。。

つまりこういうことです。



この現象、今となっては懐かしい、Pentax K-mのキットレンズ、Pentax DA-L18-55mm、そして50-200mmでも著しく、それがSigma 18-200mmの購入動機のひとつだったわけですが、Sigma 18-200mmになって症状はかなり緩和されたものの、こうしたコントラストを上げるエディットなどの場合は不可避のようです。

つまり、どんなレンズでもある程度不可避の問題のようで、レンズの性能比較でも必須項目として取り上げられているようです。

新しく購入した(と言っても5千円ぽっきりですが…)Cosina MF 19-35mmも、しかり。

遠目で見ると、より顕著かもしれません。



そんでは、これを何とかしようと思ったら、どうすればよいか、ということなんですが…

まず第一に、「周辺光量低下が発生しにくい絞り設定にする」というのがあります。大凡、レンズの「中間絞り」がそのレンズのベストクオリティとなっている場合が殆どのようですので、そこに出来るだけ近付ける、という感じでしょうかね。

しかし、絞りの設定を変更すると、コントラストや発色が変わるような場合もあるので、「ここは是非絞り開放の描写が欲しい」とか、「パンフォーカスでキメたい」とか、「出来るだけ絞って被写体を流したい」などの場合、ケラレについては目をつぶるほかありません。

そこで、ですよ…

とくにAPS-Cサイズの撮像素子を採用したデジタル一眼レフを用いる場合、「フルサイズ用のレンズを用いる」というのが、かなり抜本的なケラレ対策になります。

そもそもレンズの描写って、MTFとかを見るにつけ、中心に近いほど良い場合が多く、周辺部は「流れる」とか、「ぼやける」とか、「暗くなる」とかの問題があるようです。確か、銘レンズCarl Zeiss Planarの「Planar」という名称は、「画像全域で均一(つまりPlaneな)描写」という意味だ、というのを聞きかじったことがあります。

しかし、そのPlanarでさえ、MTFを見ると中心部と周辺部では、特に絞り開放時の描写にかなりの差があるようです。その点マクロレンズは優秀ですが、この根本的な傾向は変わりません。つまり、「周辺部に近いほど良い描写になるレンズ」というのは、ありません、ということなのではないでしょうかね。

しかるに、同じフルサイズ用レンズにAPS-Cサイズの撮像素子を採用したデジタル一眼レフを用いる場合、その一番描写が良くなる「レンズの中心部付近」のみを用いることになりますので、同じ焦点距離のAPS-Cレンズよりも描写が良い、というわけです。この観点では、フォーサーズのカメラでフルサイズ用レンズを用いる場合は、さらに有利ですよね。その意味では、APS-Cでフルサイズレンズを用いるというのは「中庸」と言えると思います。アダプターを用いて中判カメラ用レンズを用いる、というのもかなり強烈ではありますが…つい最近中判用レンズは処分してしまいましたね。ちょっと後悔かな。

とまあオプションは様々ですが、要するにこういうことです。

これが、APS-Cサイズでフルサイズ対応レンズの「一番おいしい部分を使う」ということです。見事にケラレ発生範囲から外れています。

なので、この「レンズの一番オイシイ部分」のみを使った画像では、ケラレはもとより、画像の流れなどが比較的少ない写真が撮れる、とこういうわけです。

フルサイズのレンズ、Cosina MF19-35mmで撮影した空です。人物の影でお分かりの通り、モスクワの空港同様に夕方で、しかも縦構図で天頂に近い部分を撮影していますので、上辺の光量が落ちていますが、周辺部、特に角の部分では、APS-Cサイズのみ対応のSigma18-200mmよりも明らかに光量低下が少ないですよね。



しかし、ですよ…

以前は大嫌いだった「ケラレ」が、最近は「ちょっとイイかも」と感じるようになって来ました。なんというか、写真の「味」とでもいうか、少なくとも常に「悪い」というわけではなさそうだな、と。まあ一般的に見られる現象であり、さらに「好ましくない」とされていることは確かですがね。

音楽でもそうですが、こうした一般化された事柄、すなわち「理論」に対する「嫌悪」というのがあります。そうした主張は往々にして「理論に囚われたくない」というのをその根拠としています。

しかしそうした論法には明白な弱点があります。それは、その論法によると、「囚われたくない「理論」とやらを知らなければならない」からです。

さもなければ、自分でも気付かないうちに理論にとらわれている、という状況が起こり得るでしょう。自分が理論に囚われない自由な発想で創作したものだ、と信じていたアイディアが、実はもう数百年も前から行われていて、理論化・体系化されていたとしたら、「理論に囚われたくない」という命題は果たせないでしょう。つまり、理論を知らなければ、理論と理論以外の事柄を区別してコントロールし、使い分けることが出来ない、ということになるわけです。

たとえば、東京の右も左も知らない人が「新宿では飲まない」と言って、地図も持たずに飲み歩いていたら、実は「思い出横丁」で毎日飲み明かしていた、という状況が起こりうるだろう、ということです。

これは一見、私の「アンチガイドブック」と矛盾するように見えますが、そうではありません。喩えて言うならば、地図があるなら、出来るだけ詳しい地図を手に入れたいところだ、という主張です。

なぜなら、いかにも「ここは行っておいた方がいいですよぉ」という暗示を含む名所のリストや、「ここは危険なので近付かないように」といった余計なおせっかいは、地図には一切無いからです。そうした具体的に「どこに行くべきで、どこに行かないべきか」という問題は、実際に自分で訪れてみて、自分で判断すべきところなのではないでしょうか。しかし自分で判断するにせよ何にせよ、最低限どこに何があるか、という「地図」はあらまほしきものだ、という主張です。

話はちょこっとそれましたが、この「コントロールすること」というのが創造性を具現化する上で必要不可欠であり、いくら創造性が高い人であっても、それを実際に具現化するには、たとえばここでいう「ケラレ」が発生する状況というのを、自分の作画意図に基づき、必要に応じてコントロールする必要があるのと同様、様々な事象をコントロールして頭の中にあるイメージを具現化しなければならないだろう、というわけです。

と、ちょこっとマジになってしまいましたが、そうした意味合いにおいて、ケラレの多いSigma 18-200mmと、ケラレの少ないCosina 19-35mmは、広角端で使う場合、その時の作画意図に応じて使い分ける、というのが正解かな、という結論です。

 






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Last updated  Oct 28, 2010 09:00:09 AM
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