467495 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

道玄坂洋楽英語倶楽部

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Category

Profile

toni t

toni t

Freepage List

Favorite Blog

夜ラン 岡田@隊長さん

Comments

 人間辛抱@ Re:アンドレ坂改修工事完了してました(06/08) どうもお久しぶりです。 新型コロナウイル…

Recent Posts

Archives

Oct , 2024
Nov 22, 2010
XML

と、いうわけで、

ちょこっと昨日の日記に出て来た、「11時間かかった写真」の補足説明を。。。

巷ではCalvin Hollywoodなる凄腕エディターの方が人気を博しておられるようです。しかも本人直伝のトレーニングも受けられる、ということで、そのスタイルが広まっているようですね。

Calvin Hollywoodのエディット技のムービーもYouTubeなんかにUPされてますが、なんというか、エディット後の「質感」が見事で、結構好きなカンジで毎回見とれてしまいます。Calvin本人のエディットもかなりの時間がかかりそうではありますが、しかし「11時間」かかった作品、というのは、Calvin本人の作品ではなく、その本人直伝のトレーニングを受けた方の作品です。

具体的には、これです。

この方、その手順まで公開されてますんで、元ネタがCalvin本人のトレーニングであることは確実です。まあそんなことを知らずに見ても、一見して実に見事だと思いますけど。

ちなみに本人のはこのへんにアップされてるようです

しかしですねえ、

ここまで脳味噌の中でイマジネーションがビンビンにひろがっていて、11時間というゆとりがある、ということだったら、いっそのこと絵を描いたらどうだろうか?という疑問に辿りついてしまう私が居るんですが、それっておかしいですかね。

音楽と写真は「抽象芸術」と「具体芸術」なんていうパラメーターで説明されることがあり、その違いが強調されます。しかし、ちょこっと写真をかじってみたミュージシャンとして感じたことは、音楽でも写真でも、傑作と言われている作品は「オーディエンスのイマジネーションを刺激する」作品なのではないか、と。

音楽で言えば、ディストーションのかかったギターの音色を聴くだけで、ブルージーンズやブーツなんかのイメージが浮かんでくる、とか、それがテナーサックスだとタキシードで決め込んでいるアフリカン・アメリカンのプレイヤーの姿が脳裏を過る、とか、言うなれば何らかの「記号」をヒントに、その人なりのイマジネーションが自然と浮かんでくる、というのがその根本原理だと思うんですがね。それは、人それぞれ違うことに意味があるわけで、いわば「自由」として残されている部分であるから意味がある、というか。

たとえばビバルディの「春」で「ここのバイオリンのフレーズは春雷を表現しているんですよぉ」などと言われて、その春雷がどんな音で響いているのか、というのを、実際に「こんなです」と言って聞かせずとも、そのバイオリンのフレーズからそれぞれが思い描く「春雷」の音であることに意味がある、と思うんですがね。こうしたイマジネーションを基に個々の脳裏に鳴り響く「春雷」はそれぞれ全く違う音色かもしれませんが、それぞれにとって、紛れもなく「春雷」であることに間違いありません。

それほど詳しく知りませんけど、写真で言えば、写真に捉えられた一瞬から、その前後のストーリーが思い浮かぶとか、四角いフレームの外側に何があるのかが脳裏に浮かぶとか、やっぱり何らかのかたちで「オーディエンスのイマジネーション」というのを刺激する、というのが趣旨なのではないか、と。

被弾して倒れんとしている兵士の写真を見て、その兵士が倒れて死んでしまったのか、それとも「撃たれたぁ!」と思ったけど実は弾はヘルメットをかすめただけで「なあんだ、生きてるじゃないか...」という結末になるのか、命乞いをして息を引き取り、誰にも知られることなくその場で冷たい土に還るところまでイマジネーションが膨らむのか、というのは「見る人次第」なのではないか、と。もっと端的に言うと、白黒の写真は、オーディエンスの自由な色彩のイマジネーションを鼓舞するというところに、その魅力があるんじゃないか、とか。

その観点から言えば、そうした「11時間」というかなりの時間をかけて作りあげられたもの、というのは、実はその人が自分が撮った写真から得た「イマジネーション」の中身を具体的な画像にしたものに近いものになるんじゃなかろうか、と。

それはそれで、「処理後の写真」を見る人のイマジネーションが広がるとは思いますが、はたしてそのイマジネーションは元の「写真」から得ているものであるのか、それとも「画像として具現化された処理者のイマジネーション」から得ているものであるのか、というと、その答えは、後者「画像として具現化された処理者のイマジネーション」から、新たなイマジネーションを得ているのではないか、と思います。

つまり、イマジネーションの根源が、「写真」ではない、というわけです。すなわち、こうした「11時間」というかなりの時間と手間ヒマをかけて作りあげられた作品は素晴らしいし、時間と労力には敬服しますが、その時間と労力をかけて具現化された「イマジネーション」の部分というのは、本来的にはオーディエンスが自由にイマジネーションを膨らませる余地として残されている、というのが「写真」なのではないだろうか、と思いますが、違いますかね。

その観点から見ると、この作品はむしろ「絵画」として素晴らしい、ということじゃないでしょうかね。

って、また偉そうなこと言ってしまいましたが。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  Nov 22, 2010 07:24:19 PM
コメント(0) | コメントを書く
[シュミやら何やら写真] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.
X