|
テーマ:愛し君へ(109)
カテゴリ:カテゴリ未分類
『解夏』を読んだのは、今年のはじめだった。
当時少しだけ付き合っていた相方くんに、 「主人公、ベーチェット病なんでしょ?」 とさらりと言われた記憶がよみがえる。 「さらり」としたさりげない一言だった。 それが架空の話とはいえ、もしそれが現実のものになったら、 そう考えたりはしないんだろうか、とも思った。 いや、彼は、それをたいしたことだとは思っていなかった。 そんな気がした。 * * * 今日の「愛し君へ」では、 泉谷しげるが激しく結婚を反対するシーンが見られた。 実際に会って、性格も感じもいい相手だと分かっていても、 目が見えなくなる、ということだけで、結婚は猛烈に反対されていた。 目が見えなくなる、ってことが、 そんなに罪深いことなんだろうか。 おそらく、 「両目があらかじめ見えない」 ことと 「片目があらかじめ見えない」 ことと 「これから両目が見えなくなる」 ことと 「これから片目が見えなくなる」 ことは、きっと違う。 違うんだ。 彼らの未来に影を落としているのは、 「今両目が見えていて、近い将来、世界が暗闇に包まれる」 という事実であり、それ以外の何者でもない。 光に包まれた世界が真っ暗になる、 光の真ん中にいた人間からしたら、 絶望的な事実に違いない。 だけど、それって、世界を広く見渡してみると、 そんなにたいしたことではないと思う。 私は、もし私のたいせつなひとがそうなってしまうならば、 二人で一つの目を共有して、一緒に歩きたいと思う。 誰かに人生狂わされた、とか、 寂しい人生だった、とか、 そんな哀しいことは言いたくない。 どの決断だって自分でしたことだし、 どんな運命だって、自分を取り巻く何かがそうさせたんだから。 * * * 私は以前、日の光がさんさんと降り注ぐ昼間に、 暗闇の中を歩いたことがある。 本気で目が見えなくなるかと心がざわついた。 視界にもやがかかり、まぶたは腫れあがり、 痛みと哀しさで涙がとめどなくあふれ、 病院に向かう電車の中で 何度も何度もシミュレーションをした。 家族に告げる瞬間、 これからの生活、 あぁ、この仕事続けられないなぁ、 どう言おう、どうしよう。 私が失うことのできる目は、人よりも少ない。 だからこそ、 この物語が身近に感じられると同時に、 たいしたことない、とも思える。 大切なものは失ってから気付く。 失いかけて、気付く場合もある。 だけど、いつもは気付かない、大切なものを 失ったり、失いかけたりして気付くなんてばかげてる。 だから、 今この目で見えるすべてのものを できるかぎり慈しみ、大切にして生きていこうと思う。 だけど、 明日、目が見えなくなるとしたら、 最後に見たいのはなんだろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2004/06/07 09:54:30 PM
コメント(0) | コメントを書く |