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カテゴリ:日々のヒトリゴト。
「こぼれた乳を嘆いても無駄なんだよね」
という台詞は、 「It is no use crying over spilit milk 」 という英語の格言を知っていて、 なおかつ、「覆水盆に返らず」 ということわざを知っていて、 なおかつ、その意味を知っている場合に成り立つ会話だ。 * * * 人と話すときに、その会話がスムーズに行くかどうかは、 相手と共有しているものがどれほどあるかで決まる気がする。 根底に横たわっている知識、それから、感覚。 そういう何かを共有していれば、分かち合えるものがある。 最近、共有してないってつらい、と思うことがままある。 未だに天動説を信じている小学生、 「KNOW」を「くのう」と読んでしまう、同業者(←ありえん!!) 前提としている知識、それをとらえる感覚がない場合がままある。 それを払拭することから始めなくてはいけないことに気付いたとき、 それが徒労だと気付いてしまったとき。 それでも、それを投げ出してはいけないポジションにいる。 切り捨てて流してしまえば楽なんだけど、 それはできない、それが責任。 できることとできないことに差があるんだよ、 同じだけ時間をかけても、できないこともたくさんあるんだ。 だからこそ、私の言動には責任がある。 共有するはずの「知」の一端を担っているから。 共有していない虚無感、 逆にその恐ろしさに身震いした。 ひとことね、今日はオエライサンに褒められたんだよ。 名指しされてドキッとしたら、お褒めの言葉だった。 嬉しかったよ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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