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私の本の読み方は至って適当です。
読む量も決して多くないし、 結局楽しかったらいい、という感じで、 名フレーズに出逢っても、 たいていは読み流して印象に残っていなかったり。 ステキな時間を過ごせればいいじゃない、 楽しめればそれでいいじゃない、 んで、ほんのちょっとでも自分の肥やしになればいいじゃない、 と思っていたのです。 高校のときから国語は得意なほうでした。 「だって国語って日本語じゃない」と言い張り、 いろいろな試験においては、 古文の文法問題も法則覚えるでもなくフィーリングで解き、 (きっと何か根拠はあったのだろうが無視) 漢文は漢字の意味から連想しまくってなんとなく解き、 (結構当たるもんだ) 現代文は集中力全開でやっぱりなんとなく解けていたのです。 が。 「論理的な文章」よりも苦手だったのが、「文学的な文章」の読解問題。 「問 このときの主人公の気持ちを答えなさい」 知るか! 私は主人公じゃないからわからん! と、いきなり投げ出したくなる問題です。 それでも何かしら書きます。 でもだって、小説の読み方なんて、 人それぞれだと思うんですけど~ 自分を投影して読んでいれば解釈変わってたり、 頭の中で像を結んでいる画像だって風景だって、 きっと人それぞれ違うんだから。 作者の中にだけ、確たるイメージがあって、 あとはそれぞれ何かしらあると思うのです。 んで、 「そういうことだと思って読んでいたが違ったんかい!」 となった記憶が、今から数年前のセンター試験。 いや~正念場でそりゃねえぜ、と思いました。 私の受験した年には、山田詠美の『ぼくは勉強ができない』が出題されました。 これ、私はすでに読んでた小説で、好きな小説でもありました。 問題をめくって、読み進めていくうちに、わくわくしはじめて、 いや~ん、本番でこれを読めるなんてラッキー♪ と秀美くんにお礼を言いたい気持ちになっていたりもしました。 しか~し、自己採点の日、 私は目の前が真っ暗になるのを感じました。 「平均正解率47.6%の難問」 私は、その平均すら行かなかったのを覚えています。 模試でも取ったことのない、史上最低をマークしました。 しかも、得点源の国語で! なきそうでした… 正解と照らし合わせても、 なんでそういう答えになるのかわからない。 確かに、正解の解釈もあるだろうけれど、私の読み方は違っていた。 小説の読み方は一つじゃないのに。 「~という見方もある」なんて研究論文で説が分かれることもあるじゃない! そして、出題されるべき問題は、 誰もが納得できる答えじゃないといけないんだ~! と、強く思いました。ホント。 未だに「小説」の「読解問題」は苦手です。 「論理的な文章」は国語の問題として問われていいと思います。 論理展開から内容を読み取れなくちゃ意味がないと思うから。 でも、長編小説の一部分を出題して、 「ここから読み取れる内容を」というのは、 あまりにその小説に失礼なんじゃないのかと。 だって、その一部から読み取れるものと、 全体から読み取れるものは違うかもしれないから。 例えば極端な話、芥川龍之介の『羅生門』で、 「下人が老婆を初めて見つけたところ」と 「下人が羅生門を去っていくところ」の主人公の心理は全く違う。 「小説」の読み方は、人それぞれでいい。 私は今もそう思うのです。 楽しければいい、好みも別れていい。 進学してからも、「文学」を扱った研究はしたいと思いませんでした。 あれこれ作品や作家について意見を述べようと思わなかったし、 読み方の研究なんて大それたことはできないと思ったから。 だけど何の因果か、 まだ、私は「読解問題」からは逃れられない。 未だに、私は「小説」の「読解問題」が苦手です。 楽しく読めりゃ、いいのよ、小説なんて。 そんなことを思い出した、晩秋の夜長。 咳が、とまらない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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