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カテゴリ:音楽
時は動き、人は変わる。
心の琴線を奏でる風も、気が付くと違う方向から吹き寄せはじめていた。 いつもと違う音色が、新しい光を導く。 といきなり何事もなかったかのように意味不明の文章で、久方ぶりぶりのブログ再開。 久しぶりも良いとこだよ。 ま、色々あったりなかったり。 …嘘です、何にもないですw 深刻な事はなく、単にクッキー食いつぶしたらID諸々を忘れ果てて、書き込みが出来なくなっただけだったりするんだなこれが。 パス再発行も面倒で放置してたってのは、やっぱり内緒にしておきたいズボラさだ。 サボっている間にも、HYDEソロアルバムとか松田賢二関係とか、ネタはなくもなかったが。が。が。 唐突だが、いきなりBUMP OF CHICKENで再開してみようと思う。 臆病者の一撃が、突風となって襲ってきたんだもんw 音楽スキルは非常に低い。且つ狭い。 ほぼL'Arcの虹色に染め上げられていると言って、過言ではない。 偏執的に一点集中型なのである。(その割に理解度が低いのが哀しい) それが、いきなりのBUMP。唐突にCHICKEN。 我ながら青天の霹靂。 周囲の白眼視が痛い。今更ばんぷかよーーーーwwwww そりゃそうだ、何だって今頃と、自分でも思うさ。 大ヒットした天体観測やカルマも、聞き流してきたのに。 何で今頃?訝しがられても当然。 心惹かれたそのきっかけは、『車輪の唄』。 BUMPファンには非常に人気の高い曲だそうだ。 この唄がキーワードになっているとある恋物語に邂逅した事で、心の琴線がかき鳴らされた。 切なくて痛ましいその恋のストーリーに、車輪の唄が柔らかくも哀しい彩を添えていた。 で、今、この歌が収録されている『ユグドラシル』を聴いている訳である。 (相変わらず、前フリがちょー長いっw) 今更、にわかファンが説明するまでもないが、BUMPの音楽はヴォーカルの藤原基央の手によるものがメイン。 正直、ヒットした曲々も「曲はいいけど、声が守備範囲外かも」と思って、聞き流していた。 面食いは自認しているが、意外な事にラルクを好きになった要素の内、容姿は非常にランクが低い。 まず曲の世界観、そしてVo.の声が重要なポイント。 声はバンドの顔だから、当然といえば当然だが。 BUMPの場合も、同じく。 世界観については後に譲るが、この声がジワジワと効いてきたのが大きかった。 HYDEの声が管楽器の心地だとすると、藤原の声はギターの弦。 最初は抵抗感があったが、一度ツボに入ったら夢中になった。 細い声な筈なのに強靭に響き、心をかき鳴らす。心地よい。 そして、その藤原の描き出す世界観。 声の比較でHYDEを持ち出したのは、単に贔屓している対象を比べるためだけではない。 彼らは、何だか奇妙に似通った部分があるように思ったのだ。 実は、二人とも、若干ではあるが視覚に難を抱えている。 が、共に絵を描くことに長けている点も似通っている。 通っていた学校に馴染めずに、早々に辞してしまったなんて共通項もあるw そういった為か、物の見方もどこか相通じる処がありそうな気がする。 だが、似ているのに違う。 本質は同じような色を持っていそうなのに、表現する方向性は別を向いている。 そう思ったら、余計に興味を惹かれた。 例えば、二人ともどこかに通った叙情性を持っているように感じる。 だが、それを歌詞の世界に広げる手腕が違う。 HYDEはより抽象的に昇華させていき、藤原は具象的に構築し直していく。 視覚に難と前述したが、HYDEの場合は色に、藤原は視力そのものに弱点を抱える。 つまり、色と形それぞれの欠落の方向性によって、求める表現が逆方向になっている。 この辺り、勿論本人たちの嗜好による違いもあるのだろうが、比較するのに面白く感じた。 ま、屁理屈というかこじ付けですが。 アルバムタイトル『ユグドラシル』とは、北欧神話に出てくる世界樹のこと。 確か、その樹は世界の全てを内包し、且つ、そこに住まわす者達に体を貪られていたと記憶してる。 うーむ、どうも違った気もするぞ。 大昔に読んだ北欧神話の本がどっかに転がっているのだが、見つからないw(本て、何で必要な時に消えちゃうんだろうか) 曖昧な記憶では、かなり泥臭く悲劇的な、言い換えれば人間臭い神話の世界だったような。 まぁ、タイトルとアルバムの世界観は必ずしも一致する訳じゃないですね。 このアルバムも、冒頭とラストの2曲のタイトルに北欧神話から材をとっている以外は、特にイメージが重ならないんじゃないかな。 車輪の唄でも感じたのだが、今時にしては珍しく歌詞に物語性があるものが多い。 そして日本語のみで構成されているものが大多数を占める。なかなか新鮮。 (単語レベル以上の英文は入っていない) 最近良くある“等身大の歌詞”だの“身近な世界観”だのを掲げた歌、大嫌い。 虚構の世界に現実を持ち込むな。 と思う。 が、バンプの曲は具体的に世界を綴っているように見えて、その手の胡散臭い“リアル感”がない。それが良い。 藤原の独白めいた歌詞は、弱さを曝け出しているように見えて、逆にそれ武器にしているようだ。 自分の孤独を認めた強さが、そこにはある。 冒頭に記したように、「車輪の唄」は思い入れもあり、特別に好き。 この唄をラブソングと見るか友情の歌かとみるかは、受け手によってそれぞれかな。 私は、青春を懐かしく思って聴いている。 失った恋の歌だが、ある真理もついた歌として「同じドアをくぐれたら」も気に入ってる。 「ギルド」や「乗車権」のように、人間や人生に対する不信感を露わにした、脆弱な心。 反して「オンリーロンリーグローリー」や「Fire Sign」で描かれる、弱いがゆえに持つ人間の強さ。 その二つがいつまでも定まらぬ天秤のように、ゆらゆらと惑っているようだ。 脆弱と強靭の天秤が、世界樹の上で揺れている。 と、格好つけて書くとこんな感じかな。 ひっさびさの長文、いつにも増して支離滅裂だ。 ぶっちゃけて言えば、青臭いよBUMPはw えぇ、痛いですwwwww これを聞いて感動して良いのは、10代の子だけかもしれん。 でも、気に入っちゃったもんは致し方ない。 うるるんとイテテテをを繰り返しつつ、毎日聴いてます。文句ある?w お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年06月20日 18時27分06秒
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