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テーマ:癌(3550)
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お久しぶりです。
しばらく見ない間に書き込みフォームも変わってるー。 去る3月24日22時10分、母が他界しました。 7年前に発覚した乳がんが2年前に再発。 肺に転移して年明けから随分悪かったようです。 はるこが産まれる時にこっちに手伝いに来てくれたけど、お医者さんには止められていたみたい。 そんな事、何も言わないからこっちは好き放題きつい事言ってたよ・・・。ごめんね。 やっとやっとここに来る気になれました。 母は放射線治療を始める、とのことで20日から入院してました。 毎日痛くて眠れない日が続いてたそうです。 23日の朝に父から「週末には身内の方、会いたい方には来てもらった方がいいかも」って先生が言ってた、と、連絡があって翌日に大阪へ。 いつ帰れるかわからないけど、良くなるか、亡くなるか、それまでそばにいてあげようと思ってたくさんの荷物と共に・・・。 3時ごろ病院に着いて、痩せて顔色も悪く、管がいっぱい付けられた母を見て涙が・・・。 ひと言ふた言話したけど、直視できませんでした。 続々と親戚がお見舞いに来てくれたので居場所が無くなり、外ではること時間をつぶしていました。 弟は胆のう炎で入院し、手術して今日退院。 退院してすぐ、弟一家も病院にかけつけました。 夕方になり、親戚は帰って母は夕食の時間。 ちょっとしか食べなかったけど、昨日より多く食べたみたい。 主治医の先生から話を聞くと、毎日少しずつ良くなっているとのこと。 今日ははるこの顔を見たせいか、顔色も良くなって食事もたくさん食べたと。 良くなって家に帰れればベストだと。 孫の顔を見ると少しでも具合が良くなるはず。 毎日でも孫を連れてきてあげて。。。と言われました。 はるこをお風呂に入れたりしないといけないので、父はいつもは面会時間の8時ぎりぎりまで病院にいるけど早めに帰ろう、ということになり、7時に病院を出ました。 帰る前に母は「この病院で買ったパジャマ、安物やからかきつくて着心地が悪いからダイエーでいいパジャマ買ってきて」と言ったのですがそれが最後の会話となりました。 父とパジャマと夕食を買って自宅に戻ると、すぐ病院から電話が。 病状急変のため、すぐ病院に来てください・・・と。 はるこのオムツを替えておっぱいをあげて、また病院へ。 病院までは約1時間かかります。 焦りましたが、こっちが事故っちゃダメなので「落ち着いて落ち着いて」と父に声をかけてました。 病院の駐車場に着いて、父はダッシュ。 私ははるこをベビーカーに乗せて荷物を持ち、父からほんの少し遅れて病室へ。 私は間に合いませんでした。 父が着いてすぐ、心臓の鼓動が止まったそうです。 私達が帰ってすぐ20時より血中酸素濃度が急激に下がり、21時頃には心臓が止まり、呼吸が止まったそうです。 あまりにも急激で、主治医の先生も「僕の見積もりの甘さで申し訳なかった」と。 まさか私達が行った日に他界するなんて思ってもいなかったけど、5ヶ月になったはるこを見せられて良かった。 ちょうどはるこが産まれて5ヶ月目の日でした。 その後も色々ほんとに忙しくバタバタと過ぎて行き、悲しむ余裕も無かったけど、やっぱり肉体が無くなってお骨になった時、やっと「これは現実なんだ」と思えました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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