アメニモマケズ (七)
結局居心地の良い三宅夫妻宅で過ごしたのは一泊だけだった。母親の友達から丁度良い住まいがあったと連絡があったのだ。三宅夫妻はここに留まることを勧めてくれたが、何から何まで用意してやるという三宅夫妻の言葉にさすがに甘えるわけにはいかなかったのだろう。私達は小さな軽トラックを借りて、姉を迎えに行った。そして、祖母の家に預けていた最小限の荷物を積み込み、新しい住まいへと向かった。親子4人軽トラックでのお引越し。姉にとっては最悪な引越し体験だったろう・・・軽トラックの座席に全員は乗れない。姉は真冬の空の下、ゴザにくるまり荷台に乗っていたのだから・・・しかし、母親の膝の上で姉を少し羨ましくも思ったりした。百貨店の屋上のアトラクションなんかより、よほどスリルがあって楽しそうに見えたのだもの。大きな川を越えると気温がまたグンと下がる。荷台の姉は一層身を縮める。姉の我慢も限界に達しようとした頃、やっと目的地に到着した。僅かな街灯の明かりで映し出されたのは、一面に広がる田畑。私達の新しい住まいは、そんな田畑に囲まれた集落の中にあった。二階建て文化住宅の「101号室」室内は6畳、4畳半の続き間からなる2DKだ。お風呂もちゃんとある。庭(正確には洗濯干し場)もある。家族4人での生活スペースとしては決して広いとは言えないが、家具もなにも置かれていない部屋は、とても広々としていた。本当に何もない一からのスタート。しかし、これから家族で作っていく全ての事の歴史に、自分の存在が刻み込まれていく。私はなぜか嬉しくてたまらなかった。それは、子供が新しく始まるアニメやなんかを、ワクワクしながらテレビにかじりつくのと、変わりなかったかもしれない。そして、ここで初めて仕事を任命された。それは、カレンダー作りである。おそらく母は私の退屈しのぎに、この仕事を任命したのだろうけど。それでも私は全力でこの仕事に取り組んだ。母はその間、片手鍋と果物ナイフで多彩に料理を作り上げていった。姉は受験勉強に励む。父は次の日から紹介された建設会社で仕事をした。私達家族はまずまずの再スタートをきった。 つづく・・・・