テーマ:医療と介護(60)
カテゴリ:ココロ
前の日記で通院患者としての体験を転載しました
「病院も相性だ」 「相性の良い病院」 更に自身の入院体験も書きました 「患者になって解ること」 今回は「介護者視点」で書こうかと思います 身内の話なので具体的に続柄等は挙げられませんが その点は御了承願います<(_ _)> 身内が骨折しました 右肩と左足の骨折ということで全身麻酔での手術となりました 手術は6時間に及びました (ザックリ肩や足と言っても非常に細かい部位なので致し方なし) (加えて左右同時手術なので体位交換等も考えると致し方なし) この時は回復も早く一ヶ月で退院の運びとなりました めでたしめでたし 一年後…発病 最初は整形外科かと思い近くの整形外科を受診 検査の結果で大学病院を紹介されました 大学病院の整形外科を受診 当然といえば当然ですが 「検査に恐ろしく時間が掛かる」 あれやこれやの検査の予約を取るも検査待ち二週間は当り前 検査後に診察待ちで3時間は当たり前 結果が出るまで3ヶ月掛かりました しかして問題は此処からです 「整形じゃない」「血液内科です」 これぞ縦割り診療の弊害 病名をザックリ言いますと「悪性リンパ腫」です 3ヶ月…間にどれだけの治療が出来ただろう… (因みにこの型のリンパ腫は「5年生存率40%) 後悔しても始まりません 幸いにして大学病院と連携している地元の病院がありまして 此方に入院することができました 早速リンパ腫治療の標準「R-chop」を受けました その期間半年…発症部位が悪く車椅子なので入院させて貰いました 毎日着替えを運んで気付いたこと 看護師さんのシフト半端無い 「今日夜勤ですか?」(心の声「昨日日勤だったよな」) こんなのは序の口当然通常シフト(マシな方) 見舞い時間のギリギリまで居ましたが ナースステーションの奥で毎晩同じ医師が詰めている (なんせ血液内科の医師は一人だったので仕方ない) 半年のR-chopで無事快癒 しかし検査結果に引っ掛りを覚えたのは自分だけだった この時、もう少し突っ込んでいればと後悔しています 一年後…再発 御存知の方も居ると思いますが 再発すると同じ治療が使えないことが多々あります 治療法は幾つかありますが、判断は非常に難しい ということで大学病院に出戻りました 大学病院の治療ですが 医師は患者に「効いてます」と言います しかし3ヶ月経っても「バイタルに変化が無い」 薬を取りに行くついでに直談判(*患者本人不在*) 自分「バイタルに変化が無いが効いているんですか?」 医師「実は効いていません」 冷静にブチ切れました 自分「今すぐ現在の治療を中止し治療を切替えてください」 医師「解りました」 別の治療の為に大学病院に入院することになりました …入院予定日の前日… 起き抜けに痛みに錯乱している姿を目の当りにしました 速攻119:「明日から入院なので大学病院に搬送してください」と要請 錯乱している姿を横目に救急車到着 隊員から一言「病院側には連絡しましたか?」 あー…確かに…ってそんな余裕あるかい! なにはともあれ…何とか大学病院に搬送 鎮静剤で一端落着きましたが…担当医の診察を受けろとのこと 待合室で待つこと数時間 意識が朦朧としている&車椅子 ふらふらと立上って歩こうとするわ何やら 仕方なく車椅子に拘束帯で抑え付けました ↑虐待と言いたきゃ経験してから言え!本人の安全の為だ! 漸くベッドに落着いた所で関係者に連絡 その間の出来事(錯乱状態の患者と自分との遣り取り)は控えさせて頂きます 切替えた治療が始まりました 「マジですか?」と思う程の放射線治療 治療した患部は酷い火傷状態 挙句の果ては「これ以上の放射線治療は無理」とのこと 地元の病院に戻りました いい加減付合いも長いので血液内科と整形外科(リハビリ)のスタッフは顔馴染みです 前回から平日は毎日行っていたので、今でも覚えられてます(⌒-⌒; ) 患者さん達も顔見知りになります(⌒-⌒; ) なのでスタッフが担当している患者数もシフトも解ってきます …このシフト…良く耐えられるな… 再発の段階で難しい(半年くらいか)と予想は付いていましたので 医師もはっきり言ってくださる方でしたので 病院のスタッフの方々には「本当にお世話になりました」としか言えません 大学病院に言いたいことは山程あるが 鬼籍に入って早数年 今はただ冥福を祈るだけでございます お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015年12月24日 01時02分52秒
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