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おじいちゃんは連日の悲惨なニュースに胸を痛め、またメディアの一方的な見方ではなく、
現実的にこの世界がどうなっているのか自分の目で確かめたく散歩に出かけた。 まあカッコよく言うとそういうことなのだが、最近の運動不足とまだまだわしは役に立つ、動けるのだという男的なプライドがそうさせたのだろう、まだ冬の寒さが残り わりと強い風の中をおじいさんは散歩に出かけた。 歩きはじめて、風が強く、砂埃が勢いよく立つ中おじいさんは、こんな時に散歩に出かけた自分に少し後悔した。 しかし歩き出してみると世界は意外に穏やかで強い風以外は、太陽がすがすがしく輝き、 時間はゆったりと流れていた。 家々は前にもそこにあったように今もその場所に存在していて、人々はいつものように歩いたり、自転車に乗っていたり、車に乗っていたりしていた。 人がいるということ、人とすれ違うだけでおじいさんは何だか妙にほっとした 街が生きていること、いつものようにいつものものが動いていることに安堵感を覚えた。 物はいつもと変わりなくそこにあり、自然もいつもと変わりなくそこに存在していた。 梅がきれいに咲き、もうすでに終わりをとげようとしているものもいた。 はじまりと終わりが交互に存在している世界 自然は今までの長い長い年月と同じようにまさに今現在もその歩みを以前と変わりなく続けている、そのことにおじいさんは一種の尊敬に似た感情が湧き、またたくましさも感じた。 おじいさんの胸に熱いものが込み上げてきて、足取りが軽くなった気さえした。 ふとおじいさんは若い頃の記憶が蘇ってきた。 腰痛や膝痛に悩まされることなく、自由に動き周れる時代。 あの時は世界が自分の行動一つでどうともなり、何でもできるように思っていた。 「自分で選び、それを信じ行動し続ければ何でもできるか、、、、、」 民家からカレーのおいしそうな匂いが風に乗って漂ってきた。 そういった生活臭を嗅ぐことでおじいさんは嬉しくなり、そこに今誰かが生きていて 御飯を待っている家族がいる、おじいさんは自分は今一人ではないのだという気がして 自然と笑みがこぼれた。 当たり前の日常が今ここに当たり前に存在している、花々は色づき春の訪れを待っている。 小鳥達も春に向けていつものようにせわしなく動いたり、さえずり合ったりしている。 カレーの匂いにつられて立ち止ったじいさんではあったが、今この時ここに存在している 当たり前の幸せを感じることができた。 家があることのありがたさ、家族がいることのありがたさ、御飯がしっかり食べれることのありがたさ、寒さに震えずにいられるありがたさ、まだまだたくさんある この世は幸せに満ち満ちているではないかとおじいさんは思った。 見る風景見る風景が、美しく、身近に感じられ、おじいさんの体内にも息づいているのだという感じがした。 時々冷たく強い風がおじいさんに襲いかかるが、今はもう寒くない、冷たい風と共に運ばれてくる寂しさも、今のおじいさんには温かくそれに向かい合うことができ、寂しさはいつの間にか向こうから去っていく。 誰もいない公園にブランコがゆれている。 おじいさんは何十年かぶりにブランコに乗ってみようと思いつき、ブランコにゆっくりと腰かける、懐かしいその乗り物はおじいさんを揺らし、行ったり来たりを繰り返す。 ただ今のおじいさんは過去を振り返り懐かしさに浸るわけではなく、今現在を見つめていた。 そして、この先にあるものを どこかでうぐいすが鳴き、冷たい風に交じって温かい風が吹いてきた 春はもうすぐそこまで来ている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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