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カテゴリ:ベトナム、カンボジア、タイ
ベンチェー最後の朝、この日も変わりなく朝お母さんが白いアオザイ姿に着替え
仏壇にお線香をあげ、お経を唱える。 すがすがしい朝日が差し込んでくる中へ、歌のように澄んでいてきれいなお経を唱えながら、数か所ある神棚へお線香をあげ、祈り、また長いお経をあげる。 柔和な笑顔と穏やかな雰囲気を持ったお母さんだが、そのお経を唱える後ろ姿は毅然としていて、優しくたくましく強いベトナム女性のそれが溢れ出ている。 何を祈っているのか? 必死に祈るお母さん そんな美しい情景などおかまいなしに、いつものように必死にパソコンゲームをする 甥 お母さんは一人、夫が他に女を作り出て行ってしまったこの家を守っている。 お経が終わり、いつもの笑顔にすーと戻るお母さん お母さんは僕が今日ここを去ることを知らない、何故だか友達はそれを告げていないらしい。 昨日の晩御飯中、いつもお肉などを食べるとついてくる香草類やしそなどをおいしいと食べていた時、おかあさんがじゃあ明日近くで取りに行こうと誘ってくれた。 やけに熱心に誘うので、彼女も感づいていたのかもしれないが、友達はお母さんにはあえて知らせないことにしているらしい。 こういう別れもあるのだろうか?お母さんには何も告げずに 後ろ髪をひかれるように家を出てきた。 すべてベトナム語で行き先すらよくわからないので、次の目的地のブンタウ行きのバスの 中まで送ってもらう 「本当にありがとう、おかあさんや甥、親戚のみなさん、友達のみんなへよろしくお伝えください」と別れた。 ふと、お母さんがお経をあげている風景がくっきりとイメージとして蘇り、お母さんはおそらくみんなのために、みんなが無事でいられるように祈っているんだなと思い。 おかあさんをはじめみんなが幸せに無事でいてくれることをバスの中で祈った。 いつも拝んでいる仏壇に置いてくださいと、ただただ良いのか悪いのかは関係なく みんなを守ってくれることを念じ日本から持ってきたお守りをお母さんに渡してきた。 あの時のおかあさんの嬉しそうな顔、そしてありがとう本当にありがとうという言葉が 蘇ってくる。 旅人とはどうしても周りに迷惑をかけてしまう人種だと思う。 多かれ少なかれ何らかの影響をその土地に与えてしまう存在だと思う。 僕がいつも旅をする時特に現地の奥先まで入って行く時に心がけることはできるだけ、 その土地にとって最小限のインパクトですむようにすること 旅人は所詮その土地を通過するに過ぎず、何もわかってはいないし、 できるだけ何も残さない方が良い。 バスは乗客がいっぱいになるまで出発しないようだ。 友達が去って行き、これからベトナム人の中にたった一人の外国人として 心細い存在として在り続けることになる。 何を言っているのかさっぱりわからないし、何時にバスは出発して、どこに立ち寄り どういうルートをたどるのか、ましてや本当に目的地につけるかすらあいまいな状態だ。 だんだん車内は込み合ってくるがいっこうに出発しない。 そんなことを思っていたら、突然ベトナム語で何か言われる 赤ちゃんを抱いた男女、当然のごとくまったく何を言われているのかわからない 唖然としていると、隣の席から聞き慣れた言葉が「彼らは席を代わってくれと言っているのよ」一瞬の出来事に少し眩暈を覚えながらもその声に従い席をどくと 私の隣に座りなさいという声。 見ると顔が隠れてしまい素顔がまったく見えないほど大きなサングラスをかけた 女の子が話していた。 まさに僕にはこの時彼女が女神に見えた。 彼女に話をきくと、彼女も僕とまったく同じ場所に行くという そしてこのバスはそこまで本来は行かないバスだが、追加料金を少しばかり払えば 二人のためにそこまで行ってくれるらしい。 なんという偶然 やはり彼女は女神だったのか。 女神が降りたバス。 すべての光景が穏やかに見え、ゆっくりとした時が流れている、 セピア色の写真の中に自分は入り、悠久の時の一部になり、美しい世界に存在している。 ベトナムの見なれた田園風景や、水牛や、三角帽子の農民や、バイクにまたがる人々ですら、一つ一つがきれいな光を放ち美しい情景となる。 彼女を通していろいろな世界とつながれる気がしてくる、心細さはなくなり、 寒々しい灰色の世界はカラフルな美しく、光り輝く音のある世界へとかわっていく。 前の席の赤ちゃんが笑っている、バスの中にいるすべての人と心が通じている感覚におちいる。 笑い声が田舎に帰る人々の喜びが、鼓動すら生き生きとしていてそこら中に幸せが満ち満ちている。 彼女は気がついたら隣で寝息をたてていた。 朝の過ごしやすいまだ薄い日差しの中バスは進んで行く。 次の目的地ブンタウのどこで降りたらよいかというメールが友達から来て、 ふと看板にブンタウという地名が多いなーと思ってみていたのだが、全然どこかも検討がつかない。 あまりにもよくわからないので、一瞬目を覚ました彼女にここはどこ? と友達からのメールを送ったらもうここだからすぐに降りろと言い、と同時に運転手に 大声で止まって―――と、バスは急停車し僕は急いでバスを降りた。あまりにもあっけない別れだった。 別れを惜しんでいるのも束の間、降りたのは良いがここがどこだかわからない。友達に電話してもまったく説明ができない。 朝食の屋台をだしているおばさんにまったく言葉は通じないが電話に出てここの場所を伝えてくれとジェスチャーで伝える。 やっとのことで場所がわかり、友達が迎えに来てくれた。 そしてたどり着いたのが何故か一件のフォー屋さん。 そして出迎えてくれたのが 何故か日本語を話す人。 うん?と思っていると彼は友達のおじさんで昔静岡で働いていたらしい。 英語も話せるので混ぜて話す。 まあとりあえずフォーでもということになり、フォーですか、いいですなーと ごちそうになる。 このフォーがあっさりしていてうまい! 聞くと少し前まで5つ星ホテルのコックをしていたらしく、静岡でも工場でコックをしていたよう ただのフォーではなく、水も火加減も吟味し、牛の骨や骨髄などからしっかりとしたダシをとり、ショウガを丸ごと炭火で焼き、あぶり、風味を一層際立たせている。 昼のピークが終わるまで、そこの食堂でゆっくりし 友達の家に泊まらせてもらえることになっていたが、なんだか言葉はよくわからないが 雲行きがあやしくなってきた様子。 しきりに母親に何かをお願いしている我が友達、しかし母親は首を横に振る、相手にしてくれない。 しばらくして恐る恐る聞くと「悪いんだがうちに泊まることはできない、 近くのホテルを探そう」 お母さんに何だか嫌われてしまったのか? こうしてここブンタウの新しい旅は始まった。 続く お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011年04月02日 10時01分13秒
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