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カテゴリ:イタリア
ついに最終目的地ローマへ。こうしてローマへの道は終わりをつげようとしている。
ローマに到着し、恒例の宿探しも今日で最後、 最後の晩をかざる宿をみつけた。 部屋に荷物を置きローマの街散策に出かける ローマは大きな劇場や博物館や中世、現代の街並みが一緒に混在していて、一つの街を作りあげているスケールの大きな街で、どこを歩いていても新鮮味があり、はたして自分がどこを歩き、ここはローマなのか?はたまた、時代は何時代なのか?自分すら疑いたくなるような不思議で偉大な魅力を持った街だった。 一通りぐるりと街を周ればだいたいの街の感じがつかめるのだが、このローマは まったく感じがつけめず、いつも違った表情を僕にみせてくれた。 まるで謎めいていて、多重人格の女性のようにローマは僕を魅了し続けた。 しかし、観光客がたくさんいるいわゆる観光地、観光スポットがあまり好きではない僕は どうしても路地へ路地へ、大きな通りよりは小さな通りに足が向き、裏のローマをみたくなってしまう。 有名な教会よりは、小さな名もしれぬ教会に魅力を感じると思っていたら、 とある教会の前で人が集まっていて何だかすごく楽しそうだ。 ちょっと足を中をのぞいていたら、ふいに「あなたも中の入って私達と楽しみましょうよ!」 といわれ、十年来の知り合いのように自然に中に導かれた。 中は人で溢れていてミサのようなことをやっていた。 ほとんどが英語だったので、おいおい話を聞いていると世界中のキリスト教徒が集まる集会、ミサのようなもので独特の穏やかさとパワーが教会中にみちている。 老若男女、肌の色、国籍、言葉とわずみんなニコニコしていて感じが良い。 何か絶大なるものを信じながら生きていくというのは独特の力があるのかなと僕はその時思った。この不思議な連帯感、寛容さ、この力が良い方向で使われていくことを僕は願いたい。 ミサが終わり外に出ると世界がまた少し違ってみれた気がした。 ローマの一日はあっというまに終わってしまった。 最後の晩餐はイタリアの思い出にいつも食べていたピザをレストランで食べ、ティラミスなぞ贅沢にいただいてみた。 やはりウェイターはフレンドリーで日本人だとみるや、「ナカ―タ、ナカ―タ、彼は素晴らしいプレイヤーだ」とリップサービスも忘れない。 ユースホステルの最後のドミトリー。日本人、アメリカ人、ドイツ人が一緒の部屋で 一通り旅の話しなどした。日本人以外は飲みに行ってしまったので、日本人の人と話していて、そろそろ寝ようかなと部屋に戻ると、ドイツ人がバーから帰ってきて 「明日日本に帰るんだろ?これでお別れだね、気をつけて、またヨーロッパに来てね」 と篤い握手をしこの旅は終わりを告げた。 最初フィンランドとスウェーデンの国境で同じ年のドイツ人の少年と出会い、 そしてここローマでドイツ人の青年と出会い握手で旅を終える。 旅に出る前も旅している最中もドイツ人は評判が悪かったのだが、僕にとっては そんなことはまったくなく、ドイツ人はむしろ近い存在に感じ、僕にはすごく気が合っていた。 この旅はいままで日本という狭い国の中で高校というさらに閉鎖された空間、「これは何故こうするのか、もっとこうした方がいいのじゃないか」というと文部省が決めてるからしょうがないんだと上からの圧力にどうすることもできない理想を捨てた先生達、物事を疑問に思わない、流行に流され将来の夢や目標ではなく、自分たちのごく身近な周りのこと、身につけてるものにしか興味がない、ルーズソックスや携帯をいじり、髪を茶髪にする同級生達の中ではみられない世界の広さ、いろいろな人間がいていいんだという面白さ、 自分という人間の可能性、人とのつながりの素晴らしさなどいろいろなことを僕は 感じ吸収していった。 帰りの飛行機は日本人だらけで、一気に旅行気分が吹っ飛び、成田に着き家に 着いたころには自分がヨーロッパに行っていたことは夢のことのように感じた。 しかし、送り出してくれた母は息子の成長をいち早く感じ取ったらしく、 いままで自分のことや何をしてきたかなどほとんど話さなかった、引っ込み思案の僕が 自ら旅の出来事を話し、明るくなり、学校でも自分の意見がいえるようになった。 そうこの旅を機に自分の性格がいっきに開け、人と話をしたり、自分の意見を言ったりすることができるようになった。 僕にとっては大きな転機であり、もっとも成長した一時だったと思う。 11年たった今でもあの時の日々はわりと鮮明に覚えていて、17歳でよくリュック一つでヨーロッパを周ったよなと思う。 そういった好奇心、冒険心、前に進む力、勇気、希望、夢そういったものが日常生活の中で失われてきてくじけそうになった時はこの自分の原点の旅をみつめなおし、17歳の僕に力を注入してもらう。 今回の旅に出発する前、成田まで車で送ってくれた口数の少なくなっていた父が (両親は離婚し僕は母と住んでいる)最後にくれた言葉「旅は一人では決して終わらないからな」その時はいきなりこの人は何を言っているのか?と意味がわからなかったが、 旅から帰ってきて大いにこの言葉の意味がわかったような気がした。 今回の旅で性格が変わり、息子の成長を喜んだ母は「じゃあまた行ってくるか!」と またまた援助してくれ、高校生は再びその年の冬休みを利用してヨーロッパへ戻った。 今度は東欧から西欧へ、ヨーロッパ横断の旅へと出かけた。 高校生冬のヨーロッパ横断の旅は次回へ続く。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010.05.30 16:39:09
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