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ドゥマゲテ(ドマゲッティ)の海を潜る、自然を堪能する、楽しく暮らす

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2012.04.16
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カテゴリ:カリブ海
さて、今日の話題は昨日ちょうどやっていた世界の果てまで行ってQ
でも紹介されていたマヤ文明の2012年世界滅亡説についてです。
この話はその筋ではかなり有名で、何もマヤ文明だけでなく2012年には世界になりかしらの変革があると伝えられています。
スピリチュアルな世界ではパラレルワールドの分岐点、ポジティブな世界とネガティブな世界の別れ目が生じる年です。

そのことを知っていて、実感としても感じていた僕ら二人は前回言ったようにたまたま時間ができたことと何だか何かに導かれていたようにしてこの土地にやってきました。
そうここの街フローレスに来た理由の一つは世界遺産にもなっている(世界遺産というのはまったく気にしてないのですが)マヤ文明最大級の遺跡ティカルに何故だか行こうかなと思ったからです。
その偶然に導かれて何となく行ってしまったわけですが、想像以上に素晴らしくまたいろいろと考えさせられる場所でした。
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正直遺跡は二人ともあまり興味がありません。
しかしせっかくだから、世界遺産だしと行ったティカルでティカルに着く前に重要なことをいろいろ教えてもらったのです。
それは単に旅行会社で往復の送迎だけ(ガイドなし)を頼んだのですが、送迎だけなのに一人添乗員がついてきて、まったく僕らは期待してなかったのですが(おそらく他の欧米人達も)彼がティカルまでの道のり約2時間ずーーーーとマヤ文明や、ティカルについて説明してくれたのです。
しかも自分自身マヤ人の末裔である彼はかなーーーり熱く語ってくれ、今までの常識を覆すようなことも語ってくれました。

まず言っておきましょう! 行ってQの企画の根本的なものでさえ覆すことですが
「マヤ文明というのは存在しません。そもそもマヤ人というのが存在しないからです!!」
そうマヤ人というのはこの土地の侵略者スペイン人がつけたこの土地に住んでいた数十の民族を呼びやすいように一つにまとめて呼んだ名称にすぎたいのです。
なので一つもマヤという民族はいません!!(彼が声たかだかに言っていました)
ただ彼らが高度な文明を築いていたのは確かで、今のグアテマラでもそうですが、いろいろな民族、いろいろな言葉、文化が存在していましたがここに当時何百万人もの人々が集まり巨大都市を形成していたということは、高度に発達した文明や社会がなければ
難しいともいえます。

紀元前400年から紀元1500年ぐらいまで栄えたこの文明は
ゼロという数字の概念をインドよりもはるか昔に発明し、自らの神殿遺跡でも
一年が365日であるということを世界で最初に証明しているかなり高度な文明です。
しかしこの高度な文明はある時を境にぴったりと衰退し、何百万人という人々は都市から忽然といなくなりました。その謎はいまだに解明されていなく不思議です。
その謎が解決されると今現在の人類や世界の謎にもつながっているのではと僕は感じます。
(何だかワクワクしますねー)
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マヤ文明についてはネットなので調べればすぐにわかりますが、僕がこの時すごく感動したのが、彼が自分の民族にすごく誇りを持っていて、熱く愛を持っているというのをこの時ものすごく感じたからです。
マヤと一くくりに呼ばれることに抵抗し、スペイン人欧米人の侵略、文化浸食に警告を発し(この時バスの中には僕ら以外は全員欧米人でした)自らの文化を徹底的に勉強し、
お金儲けとかはいっさい関係なく少しでも関わっていこうとしている僕らに熱く語りかけてくれる。 日本人である俺は何をやっているんだ!と涙さえ出てきました。

ティカルについてからもじゃあこれまでと言っても仕事上はまったく問題ないのに
ティカルの全体図の模型の前で熱く語ってくれ、あれ?これってガイド付きのツアーだったっけ?と勘違いするほどでした。
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すばらしい!!
彼はここからトレッキングコースがはじまるという入口の入り口まで僕らを送ってくれ
離れたバスまで一人戻っていきました。
ティカルを周りながらも彼の熱い言葉は頭の中胸の中に響き、僕らのどうでもよかった遺跡巡りはかなり暑く意味深いものになりました。

この巨大都市は一番高い建物で72M、50M級のかなり高い神殿が形成され、お互いの神殿をそれぞれから見られることや東西南北の位置がしっかりと計算され、これらをとってもかなーーり高度な文明だったということがわかります。
それよりもこんな巨大なものを当時どうやって作ったんだ!という素朴な疑問すら忘れてしまうほど完成度が高いものです。
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技術的な凄さもそうなのですが、ここが実はジャングルの中にある遺跡というのも忘れてはならず、したがって動物がいるはいるは!
途中から遺跡巡りにあきてしまった僕らはジャングル探検まではじめてしまったのだった。
ホエザルはいるし、なんとコスタリカの秘境でうまく見れなかったハナグマ君が普通にいたあーー!!
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そしてコスタリカのジャングルでさえ、動くが速すぎて見逃してしまった、この大型鳥類をここで発見するのだった。
コスタリカで鍛えられた僕の聴力と洞察力は一瞬の動くや音を見逃さなく、ちょっとごめんよーーと道をはずれ踏み行っていったところにはこいつらがいたのだー
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遺跡もジャングル探検も両方とも楽しんでしまう僕らだが、やはりここの遺跡の謎と
不思議なパワー、2012年世界滅亡についてはこの土地に立ってみないと感じないものもあると思う。(だから来たわけだが)
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前からもうすうす感じてはいたが、2012年に世界がいきなり滅亡するということではないと思う。
むしろ世界がそのような悲観的な見解ではなく、お土産屋のTシャツなどにも書いてあったが新たな世界がはじまるという考えが浸透しているようだ。
マヤ暦の終わりは現サイクルが終わるのであって2012年は新しいサイクルのはじまりの年になると今では信じられている。

古い今までの世界は終わりをつげ、これからは新しい世界へと変革をとげると僕はそう思う。古い考えの人と新しい考えの人が完全に別れてしまい、世界はじょじょに新しい考えの人の世界へ移行し、古い考えの人は淘汰されていくのではと思う。
(二つの世界に別れ、まったく違った次元に両者は存在して一生交わることがなくなってしまうとも言われています。)

人間の人間だけのことを考えた自分達だけという欲望は変わらざるをえなくなり、
何が本当の幸せか、どう自分らしく生きていけるのか、自分とは何か?
人々が地球規模、宇宙規模で物事を考えるようになり、人間一人で生きることの不可能さ、自然と周りの環境と調和して生きていくことの大切さなどを身をもって知り
変革していく、そういう世界が急速に訪れると僕は思う。
それが2012年マヤ暦の終わり、新たな世界のはじまり。
当時今にしてみれば現代の文明すらはるかに超えるであろう高度な文明や巨大都市を持っていたマヤ人と呼ばれていた人々がある時忽然と姿を消したのは、僕はそういったことに気づきはじめ、その巨大都市を捨て自然と調和する暮らしに戻っていった
もしくは、気づきはじめた人達は今とはまったく違った次元へ行ってしまったのではとも思っています。
これは僕の空想にすぎないとも言えますが、同じことを言っている人は世界中にけっこう存在します。
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帰りのバス、この巨大遺跡を一通りすべて周り、ジャングル探検までエンジョイした二人は最後の次に遅い時間のバスに乗りフローレスに戻った。
帰りのバスもなんと行きと同じガイドが乗っていて、行きと同じく唯一のアジア人だった僕らにおそらく行きから好意を持ってくれていたようで。
最後に、「グアテマラに来てくれて本当にありがとう!、君たちは僕ら先住民族と似ている、
文化も似ているといえよう、」自分の体を触りながら「目の色も、髪の色も、肌の色も、
頬骨があることも、体格や背格好も似ている!」とあつい握手をして別れた。
僕も何故だか彼が他人とは思えなく、彼もおそらく感じていたように遠い祖先に出会ったような懐かしさと安心感を感じ、こういった自分達のアイデンティティーをしっかり持ち
伝えていかなければと強く感じた。

だから僕はこの時はっきり思った、僕は日本人でありそれはまぎれもない事実であり、
僕は日本人として誇りを持っていて、本当の日本を伝えていかなくてはいけないんだと。
フィリピンで楽園を作るという計画は一つの過程であり、最終目的地は日本だということを。 またここでも同志に出会った。 出会うべくして出会った。
僕の大いなる旅はまだはじまってもいない。
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最終更新日  2012.04.16 21:33:36
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