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ご無沙汰しております。
長い30歳を過ぎてからの就職活動は終わりをつげ、6月1日から 30にして初の日本での社会人を経験しています。 正直な話何が良いかのか、いわゆるフリーターとフリーランスと、個人事業主との差はよくわからなく、日本のたいがいの人がいわゆる社会人と呼ばれている人種に属している意味やメリットもよくわかりません。 安定?なんてものはそのどれも経験している私からしてもどちらにしても同じことだと思います。 ただ一つ言えること、今のところわかったことは私にはこの会社といわれる特殊な世界の中で、 社会人という特殊な人種として存在し続けることは苦痛で、それを選択しないという選択肢も今の日本では十分可能だということです。(家族がいようといまいと、守るべきものがいようといまいと) では何故私はこのようなことをしているか、それは 30歳という一つの節目に今後二度と経験できないのではないかという 苦行にもっと辛くなる前に挑もうと思ったことと、これは運命の巡り合わせでたまたまこうなってしまったことです。 特に私は社会や社会人というものを否定するわけではなく、 むしろ尊敬します。 つくづく私には向いていないと思いますし、これを続けることは 並大抵の精神力ではできないなと思ってしまい、 今はただその正反対にあるこの状況から逃げないように、できるだけ 存在して何か得るものはないかともがいています。 私にとってそれは海の中で息ができないのと同じように不自由で 何とか息ができるように水面にはいあがって口をパクパクとあけ 鰓ではなく肺呼吸しかできない自分自身と闘っています。 自分のアイデンティティーいわゆる個性のようなものが、ほとんど無視され、重要視させれていない世界で、それでも自分を飾らなく、 素の自分を出す人が実は生き残っている世の中 本当の自分でいられることの素晴らしさ 真の自分に出会った時の、それがぴったり自分にはまった時の強さ。 そんなようなことが私はこの姿なき巨人、正体の見えない ストレスという名の栄養剤で大きく膨らんだこの社会の中で 何らかの自分を発揮できたらと思っています。 どんな世界にいようが、私は何らかの表現者として存在していたいと 思います。 自分を偽らずあるがままの自分でいること 現在留学、ワーキングホリデイなどの海外生活をサポートする会社で スーツにネクタイ姿で働いています。 もちろんフィリピンでの楽園創造計画は続行中で 今はちょっとした寄り道というか、こういうことも 長い人生の中で経験しておくべきことだなと思っています。 表現者として、いろいろな人生を経験したり、いろいろな人の立場にたってこそ、はじめて本当の表現者になれていくのかなと思うわけです。 すべての現在生きとし生けるものは修行中の身であって、 長い旅の途上だと思います。 30になって新たな挑戦のはじまりです。 ただ、来年には自分として一つの形を作ろうかなと 動きだそうと思っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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