生きる味わい
生きる味わい教えて頂いたこと83 生きることは、何の為に生きるか。生きて何を得ようとしているのだろうか。どんなにいろんなものを食べても、肉体はやがて、土に帰ります。しかし今日一日生きると生きた実感があるはずです。その日が、どんなに暑い日であろうと、どんなに寒い日であろうとも、そこには、生きた喜びと感動があるはずです。つまり、生きた日々の味わいがあると、生きた価値があるといえないでしょうか。旅行に行きました。行って良かったと思えば、行った価値があります。何処かに行って、美味しいものを食べてきたとします。食べておいしいという喜びと感動が残ったら食べた価値があります。執着はマイナスとなります。執着の方は、どういうものかと言いますと食べたのに、食べられたらいいなと、毎日思ったら苦しみとなります。例えば、麻薬の注射をしたときは、いいかもしれないが、後は、麻薬が切れたら苦しむのであります。執着になると苦しみになります。ところが、収穫になると感動になるのです。失恋した時、相手がいないのに、もう会えないと、苦しい苦しいと執着がなくなるまで苦しむのです。何年という長さではなく、自分がどれだけ執着しているかです。恐怖を持っている人は、何を見ても恐怖を感じるのであれば、恐怖の運命・環境を通ります。ムンクは、女性を見たら恐怖に感じた。ルイスウェインは猫を見たら、恐怖となった。あらゆることが苦しみであり、恐怖であります。己自身が、そのように思っているからであります。生命はもともと本来、素晴らしい感動をもって通るのが本来の姿です。肉体は健康で通るのが本来の姿であり、病気で通るのが本来の姿ではありません。夫婦は仲良く通ってこそ本来の姿であり、親子、夫婦、兄弟が喧嘩して通るのは異常な姿です。同じ原則を自分の御霊や生き方に当てはめてみますと、プラスであることが正常であって、マイナスは異常です。それでは、この世の中を生きるのは素晴らしいと言ったらプラスであり正常です。この世の中を生きるのは苦しいと言うのはマイナスであり異常者です。何も不幸で通る必要は無い。何もわざわざマイナスで通る必要はありません。感じる力があることは、感性があると言う事になります。生命があるから感じるのであります。生命無くなったら感じません。収穫と言うのは、今日一日、どういう風に感じて生きたのかが収穫となります。行動を伴った実感こそ収穫となります。子供たちが幸せだと生きたら喜びであるのに、怨み、つらみ、殺しあって生きるのは本来の姿ではありません。長く御夫婦として生きれば生きるほど増々生きる喜びと感動が湧いてきたり、如何なる運命・環境が与えられようとも、与えられた全てが生命の喜びと感動に変わればよいでしょう。色々な運命や、いろんな人生を与えてくれます。しかし、それは決してマイナスではありません。マイナスに感じるのは異常者です。プラスに感じる方は正常であります。ここが問題であります。人間の気持ちの方がひねくれています。マイナスのことが多すぎます。この世は苦の娑婆だとか、結婚式でも人生はそんな、なまやさしいものじゃない等といったりしています。人間は、悲劇を求める癖があります。マイナスを感じて生きる人が大勢います。大事な事は努力して大きな愛を感じる努力をする必要があります。同じ生きるのにも、自分が意味する内容によって価値が違ってきます。今日、神から与えられた一日を活かさせて頂きます。そういう気持ちで生きたら、収穫になります。それが其の人の癖、性格になっていきます。本当に与えあう、プラスを出す事が出来たならば、それが運命貯金になって生きます。蒔いた種は土をかけて見えないように蒔きます。隠れたる善行は、必ず生えてきます。お百姓さんは、種を蒔きますが、必ず増えて生えてきます。これが自然界の法則なのです。この世で、いいことを思い切ってすれば絶対にプラスが出てくるのであります。運命環境や生きることに最大のプラスが来ます。