モリー先生との火曜日
この本は、難病のために死への過程にある老教授が、昔の教え子との会話を通じて、人生最後の「授業」を行うという設定になっています。これはフィクションではなく 実話です。「モリー先生との火曜日」は、教え子ミッチ・アルボムの卒業論文。そして、卒業式は、モリー先生の葬儀の日となりました。 著者ミッチ アルボムは37歳の働き盛り。スポーツコラムニストとして有名選手にインタビューしたり、記事を書いたりと多忙な生活を送っていました。ある日、アメリカABCテレビのニュースショー「ナイトライン」に映った恩師モリーの姿を認める。それは、彼の死までの半年間を追うという内容。この放映がきっかけで、ミッチは、筋力が侵される難病を患う恩師と16年振りの再会を果たします。 そして、ふたりは毎週火曜日に「人生の意味」について語り合うことにします。後悔、死、家族、老いることへの恐れ、金銭、結婚や文化など人生のなかで大切なことを、モリー先生がミッチに語ってゆきます。死を目前にしたモリー先生と若い世代のミッチ。理性はありながらも、精神の器である肉体の衰えから、腕も上げられなくなり、遂にはトイの世話も人頼みになってしまう教授の姿が痛々しい。ところが、それを、赤ん坊になったようでみんなに世話をされるのがうれしいと前向きにとらえるモリー。葬儀の際に贈られる言葉を、生きているうちに聞いておこうと living funeral を企画して、みんなと泣き笑いするモリー先生。死の途上にある私を見て、生きることを学びなさいと言うモリー先生に、私は驚くばかりであった。偉ぶることもなく、淡々と人生の真髄を語るモリー先生。火曜日の出会いを重ねるごとに深まる教授と教え子との心の交流。死ぬまで教師でありたいと願ったモリー先生。自身で考えた墓石の碑文は、A Teacher to the Last。この本を読み返すごとにモリー先生は私の中に蘇る。モリー先生との対話より、「現代人の人生は対立し足の引っ張り合いが多い。どちらが勝つか?この事に囚われて、多くの人々は無意味な人生を抱えて、あくせく働きまわっている。競争だけでは生きる価値がない。人生に意味を与える道は、人を愛する事、周囲の為に尽くす事だ」 病氣のおかげで一番教えられた事は?との質問に対して 「愛をどうやって外に出すか、どうやって中に受け入れるかを学んだ事、誰かと一緒にいる時には、その人とまさに一緒でなければならない。いま君と話している時も、私は2人の間で進行している事だけに気持ちを集中する事に努めているよ。君に向かって話しをし、君の事を考えているんだ」 モリー先生は相手の話しを、相手がこんな風に聞いてもらいたいと日頃思っているような形で、聞いてやっていた。結婚について結婚。僕の知る限りでは殆ど全ての人が結婚に問題を持っていると質問してみました。モリーはこう答えた「君たちの世代はカワイソウだな。こういう文化の中にいると、誰かと愛し合う関係を見つけるのは、本当に大事な事だと思う。この文化はそういうものを与えてくれないからね。自己中心で本当の愛情関係に入るのを嫌がるか、あわてて結婚したけれど直離婚するか、どちらか。パートナーに何を求めるかわかっていない。そもそも自分自身がわかっていない。だから結婚する相手が何者かもわかるわけがない」「私は結婚についてこういう事を学んだ。結婚というのはテストされているんだよ。自分がどういう人間か、相手がどういう人間か、適応出来るか出来ないか、それを見つけるのが結婚だ」「相手を尊重していなければ、トラブルは起こる。妥協を知らなければトラブルは起こる。2人の間の事を率直に話せなければトラブルは起こる。人生の価値観が共通でなければトラブルが起こる。また大切な事は自分の結婚が大事なものだという信念さ」 人々が新しいものをガツガツ買いたがるのは何故? 「愛に飢えているから、この国では、欲しいものと必要なものがまぜこぜになっている。食料は必要なもの、チョコレートサンデーは欲しいもの。最新型のスポーツカーは必要でない。豪邸は必要でない。ハッキリ言って、そういう物からは満足は得られない。本当に満足を与えてくれるのは何だと思う?」「自分が人にあげられるものを提供する事。別に金の事をいっているのではない。時間だよ。あるいは心づかい。病院や看護施設には、ただ人とのふれあいが欲しい孤独な方が大勢いらっしゃる。そういう一人ぼっちのお年寄りとトランプでもして遊べばいい。改めて自分自身を尊敬するようになるよ、何しろ必要とされている人間なのだから。覚えているかな?如何に意義のある人生を見出すかについてしゃべった事。人を愛する事に自らを捧げよ、周囲の社会に自ら捧げよ、目的と意味を与えてくれるものを創り出す事に自らを捧げよ」 本当の満足は「自分が人に与えられるものを提供する事」によって得られる。モリー先生は楽しそうにそう言うのでした。自分の痛み苦しみに加えて、何故人の悩みまで聞くのか?「人に与える事で、自分が元気なれる。こうして上げたいと心から思う事をやる。そうすれば不満を覚えるような事はない。逆に、こうしてもらいたいと心の中に戻ってくるものには、押し潰されてしまう」 愛せない相手に対しても敵に対しても、理性によって愛していると同じように行動せよと命じる・・・それだけがむしろ本当の愛...という思想さえある。老いの恐怖先生は年を取るのが不安になった事はないのですか?「私は年を取るのを有り難く受け入れる。年を取れば、それだけ学ぶ事も多い。ずっと22歳のままなら、何時までも22歳の時と同じように無知だっていう事になる。老化はただの衰弱ではない。成長だ。やがて死ぬ事を理解する事、そしてより良い人生を生きるのは、プラスでもあるわけだ」皆は「もう一度若くなりたい」とか言いますが?「それは人生に満足していない。満たされていない。人生の意義を見出していない。だってね、人生に意義を認めていたら、逆戻りしたいとは思わないだろう。もっと見たい、もっとやりたいと思う。貴方もそうなれれば良いね」