苦悩と憎しみについて
人間は人生でいろいろなことで悩みます。しかし、私はそうしないことにしていますし、また「悩むな」と皆に言っています。深く考えることは必要です。しかし、悩みをもつと、場合によっては体を壊しますし、何の益にもなりません。それは無駄なことなのです。 仕事のうえで問題が起これば、私はそれを解決するために「考えて、考えて、考え抜く」ことはしますが、対策を立てたらそれでおしまいです。悩まないですむ為には、「これ以上考えることがない」というくらいに考え、その後は「人事を尽くして天命を待つ」というような姿勢が必要です。ただし、考え抜けばすべてが解決するわけではありません。そのためか、往々にして悩むのがクセになっている人がいるものです。そのような人は、「悩まない」と自分で決めてしまうことも大切です。私が知るかぎりあれこれ悩む人は、対策を立てたあと、結果が出るまでの間に悩んでいる事が多いように思います。「上手くいくだろうか、駄目だろうか」と思い悩む。しかし、悩んだからといって、結果がよくなるわけではありません。矢がつるを離れた以上、あとは待つしかない。できることは天命を待つことだけなのです。「考え抜いて出した対策が吉と出るか凶と出るか、それはわからない。わからないことを悩んでも仕方がないじゃないか。そんなことを悩むのは意味がない」と、こう考えていくのです。結果が吉と出れば間題はありません。ところが凶と出て失敗したりすると、又皆悩むわけです。たとえば、損害が予想より大きくなったとしましょう。しかし、それでも起こったことは仕方がありません。「腹水盆に帰らず」で、こぼれた水は地面に吸われてしまって取り戻せない。だから、それを悩むのは無意味なことです。受けた損害について悩むよりも前向きに仕事をするほうがよい。そうすれば悩まなくて済む。結局、悩まないことが悩みから脱却するための最善の方法です。では、どのようにすれば悩まなくて済むのでしょうか。 第一 ・悩む暇があったら誰にも負けないくらいの努力で働く。第二 ・謙虚にしておごらない。第三 ・毎日反省する。反省するのは悩む事とは違います。第四 ・足るを知って、生きている事に感謝する。第五 ・自分よりも相手によかれという利他の心をもって生きる事です。 悩みを感じる暇もないほどに一生懸命に仕事に打ち込みながら、「生きているだけでも幸せではないか。それ以上、何を望むのか」と自分に話しかけ、感謝する心を育てていく。そうすることでも悩みは収まるはずです。人間の情念としては、悩み以外に、憎しみ、根みというものもあります。たとえば、家族が殺されたりした場合、遺族の犯人への憎しみ、恨みは相当なものになるでしょう。私は、その人たちの憎しみや恨み、やり場のない怒りを否定するつもりはありません。子供を殺された親にとって、犯人に対する僧しみや根みは余りあるものがあるはずです。ですから私は「殺人者に対してどういう処罰をなすべきか」と強いて問われれば、死刑があっても良いと答えるでしょう。罪に相応した罰を受けることは当然です。しかし、それでも憎しみはもたないほうがよい。被害者の家族や関孫者が犯人を憎み、恨むことは、できるだけ抑えるべきだと私は思います。こんなことをいうと、「あなたは当事者ではないから、そんなことがいえるのだ」と、反論されるかもしれません。それは無理もないことです。しかし、当事者でない門外漢が口をはさむこと自体が僭越であることは重々承知のうえで、尚且つ私は、憎んだり、恨んだりしてはいけないと考えています。犯人をいくら憎んで恨んでも、殺された家族が帰ってくるわけではありません。それどころか、憎しみ、恨みは恐ろしい反作用をもっていて、その当人の心を傷つけ、切り刻みます。いや、心だけでなく肉体までも切り刻むのです。 毎日怒ってばかりいる、不平不満をもっている人は、顔色がどす黒くなり、いかにも不健康そうな顔つきになります。実証されたわけではありませんが、これは怒り、恨み、憎しみという思いが、ある種のホルモンを出すからという説もあるくらいです。 心の状態が肉体に影響を与えることはままあることです。たとえば、心配事が胃潰瘍になることはよく知られています。酸に強く、ビクともしないはずの胃壁に穴が開くのは、心配のあまり、胃壁の細胞を弱らせるホルモンが分泌されるからといいます。恨み辛みは水に流せばよいといっても、なかなかそうはできないものかもしれません。しかし、憎しみ抜いても亡くなった人が帰ってくるわけではないのですから、亡くなった人の霊が安らかになるためにも、「許す」ということが大事だと思います。 心を高めることが現世のなかでいちばん重要なことだとすれば、許せないものを許そうとすることは人間の感情において厳しい葛藤であり、最大の修行をさせられていると考えられるでしょう。財産や名誉を奪われるといった試練よりも辛い修行かもしれません。しかし、これを乗り越えていくことは何よりも心を高めることにつながり、それによって心が進化し、魂が光り輝くはずです。勤勉に働くことは、単に生きることの糧を得るだけではなく、副次的に自己の欲望を抑え、心を鍛えて、心を浄化することが出来ます。労働にはそのような重要な働きがあります。