笑いの力が人類を救う
近年、医療や福祉の分野において注目を集めている笑い療法。中央群馬脳神経外科病院理事長の中島英雄氏は、開院以来、約二十年にわたって「病院寄席」を開き、患者に笑いと健康をもたらしてきた。 「噺家(はなしか)もできる医者」ならぬ「医者もできる噺家」として活躍する中島氏が説く健体康心━。医者もできる噺家-- 病院の中に「病院寄席」をつくり、月に一度は高座に上がっておられると伺いました。まさに噺家もできるお医者様ですね。中島 いえ、正しくは「医者もできる噺家」なんです。皆さんには医者が落語をやっていると思われているようですが、噺家は十歳からですから、噺家のほうが長いんです。現在は百五十名ほどのスタッフを抱える脳神経外科病院の理事長の仕事のほか、全国で講演活動もしています。その講演の付録に三十分ほど落語をするんですよ。高齢者の方などを相手に脳卒中や認知症の予防を笑いを交えながら伝えていますが、大(おお)真面目(まじめ)な顔をして聴いている人には「あなた、病気になりますよ(笑)。笑ったほうがいいですよ」とお話しするんです。-- やはり笑ったほうがいいですか。中島 これまで約二十年間にわたり、笑いが体に及ばす影響をデータに取り続けてきましたが、笑った後は確実に脳血流量が増加し、血糖値はバランスを取って正常値に落ち着きます。人間の脳は活動している時はβ波、逆にリラックスしている時はα波の脳波が出ます。当初は笑うとα波が増えるものと思っていましたが、そうでもない。笑いには脳を心地よく活性化しながら、かつ癒していくという摩訶不思議な力があるんです。どんな実験をしてみても、どちらか一方だけに効果を示すということはないですね。必ず両方でバランスを取りながら進んでいく、そこが笑いのおもしろいところかもしれません。-- しかしまた、なぜ落語と医学を。中島 私は、三歳の時に小児麻痺に罹(かか)ったんです、物凄い高熱にうなされて、目が覚めたら突然左足が萎(な)えて立てない。つい最近まで走り回っていたのに、これはショックでしたね。戦後の食糧難で栄養不足になっていたのでしょう。-- ご家族も心配されたでしょう。中島 ええ。しかし母が厳しいというか、凄い人でした。リハビリという概念がまだなかった時代に、いま病院のリハビリ器具で使われているような三輪車を一生懸命漕がせるんです。大工の棟梁だった父は群馬から東京に出て仕事をしており、私は母と四人の姉きょうだいとともに過ごしていましたが、毎日注射を打ったりマッサージをする通院生活が一年ほど続きました。皆、日曜を除いて雨の日も風の日も、代わりばんこに私を負ぶって病院に連れていってくれました。だから家族には感謝していますね。それでやっぱり医者にならなきゃいかんか、という気持ちになったのだと思います。あとは母の教育でしょうね。「おまえは、医者になるんだ、医者になるんだ」と毎日言われ続けているうちに、自分でもそんな気がしてきた。一種の刷り込みです。その頃、私たちも父を追いかけ東京の北区に移り住んでいましたが、母は「英雄が、医者になるには東大がいいだろう。だったら近くに休んだほうがいい」と、一家を連れて文京区へ引っ越しまでしてしまったんです。そして収入を安定させるため、アパート経営を始めるのですが、連れてきた入居者は皆、医療関係者(笑)。そうやって私を、医者にさせるべく手を尽くしたのですが、噺家になったのだけは、予想外だったでしょうね。年間三百例の手術-- 噺家になったのはどんないきさつで。中島 家のアパートにいた入居者の上司と、後に私の師匠となる桂文治の師匠が友達だったことがそもそものご縁でした。「落語の勉強会ができる場所がないか」と師匠が悩んでいるのを聞いて、大工の父が即席の寄席をわが家につくってしまったのです。-- ご自宅の中に。中島 私は十歳の時に師匠の高座を目の前で見てカルチャーショックを受け、すっかりとりこになってしまいました。次第に噺家になりたいと思うようになり、十歳で「弟子にしてください」と直談判。小学校時代から父兄の前で寄席を開き、高校の時には師匠の前座に出るくらい熱中していました。-- そこまで上達されていた。中島 だけど当時はいまと違って、飯を食うというのが大変なことだったんです。まず職を安定させることが男としての一つの夢でした。だからとりあえず医者になっておこう。それから噺家になっても遅くはないだろうと考えました。-- 師匠には何か言われましたか。中島 いや、師匠だって医者をやめて噺家になれとはおっしゃいません。逆に「もったいないからおよしなさい」と散々言われました。当時は私も笑いと医学が相並ぶものだとは思っていませんでしたから、群馬大学医学部を卒業後は、脳神経外科に入局。三十一歳の時に国立病院の脳神経科医長を務めることになりました。-- 順調に、医者の道を歩んでいかれた。中島 ところがここで国立病院の現実を目の当たりにしました。その病院では驚いたことに、夜中に救急車が来ても「満床です」と言って全部断ってしまうんです。理由を聞くと「だって先生、急患は来ないほうがいいでしょう」と。「馬鹿野郎、人を肋ける商売の我々がなぜそんなことを言うんだ?」と聞くと「当直の人は皆そうで、伝統的に満床だということにしているんです」と言うんです。そこで私は消防署の救急隊員に「急患なら病院ではなく、私の宿舎に電話をください」と掛け合いました。-- 宿舎に直接ですか?中島 隊員の方も驚いて「ええ、そんなことしていいんですか?」と聞いてきました。「いいんです」と答えると、案の定その晩から寝られなくなっちゃった(笑)、こんなに急患があったのかと驚きましたね。けれども今度は、放射線技師や検査技師が動いてくれない。何人診たところで、公務員だから給料は変わらないでしょ。しょうがないから皆を連れては飲みに行くんです。すると「本当は僕らだってやりたいんです」と本音を言い始めましてね。「やりたい気持ちがあるならやれよ」と言って、最後には皆に「やります!」と言わせて店を出る。そのうち誰も文句を言わないようになりました。-- 急患で、難しい手術も多かったでしょう。中島 それが、私はなぜか血を見るのが好きなんですよ(笑)。傷口から血が噴き出ていたりすると、この野郎って、逆にやる気になるんです、-- やる気になる?中島 アドレナリンがパァーッと出てくるんですよ。逆に一週間も手術がなければなんとなく世を儚(はかな)んで、やたらと酒を飲んじゃったり(笑)。当時は年間三百以上の手術をしていました。例えば深夜にやっと手術が終わった頃に、救急車のサイレンが聞こえてくる。よしやるか、と言って再び手術室に入る。夜中の二時頃、ホッとして病院を出たらまたサイレンの音。寝たところで大して寝られない、やっちゃおうかと言って立て続けに三つ手術をして、翌朝七時頃に出勤したり。-- 一睡もせずに。中島 世間の人は、医者は、死なないし、病気にならないものだと忠っている。ある意味でスーパーマンなんですよ。だけど徹夜明けのこちらも、徹マンで、三連(れん)荘(ちゃん)をやった時のように清々(すがすが)しい(笑)。満足感があるというか、一向に疲れていないんです。-- 評判が良かったのですか。中島 そうです。でも最初は患者さんが、先生様の言うことを笑っちゃいけない、笑っては失礼だという雰囲気があって、何を言っても笑わなかった。何回かやった後、仕方ないから「笑ってください」と頼んだんです(笑)。そこでやっと、あ、笑ってもいいんだと理解していただけたみたいです。寄席をする上で大事なのは、患者さんだけを会場に入れては駄目だということです。患者さんはこの病気が本当に治るかどうか、毎日ずうっと考えているんですから、笑うどころじゃないですよ。人間は安心した時や安全な状態になった時にやっと笑えるのだから、まずはそういう環境をつくることが必要です。-- なるほど。中島 だから会場には健康な人をいっぱい集めておき、その中に患者さんを、ごそごそっと入れる。健康な方は笑うでしょ。人間には大昔に集団で生活をしていた記憶が残っているから、自分だけ後れを取るとほかの動物に食い殺されるという意識が本能的に働く。だから、周りの皆が笑っているとなんとなく自分も笑わなければいけないという気がするのです。このつられ笑いつまり集団心理を上手に利用するんです。-- 笑うと回復も早くなりますか?中島 早いです戦闘モードと笑いモードとでは肉体の状態がまったく違いますから、前者は回復力もなく病気になりやすいパターン。後者は安心、安堵を感じている状態で肉体的に非常に良いパターン。そうするとやはり回復も早い、だから、不安や恐怖といった要素を排除してあげることが大切なんです。-- 心に残る患者さんはいますか。中島 あるおじいさんが脳梗塞を患っていたのですが、頑固な方でしてね。リハビリをするにも「こんなことやったって治らない」などといちいち言ってくるんです、そうするとだんだん体がこわばっていってしまう。そのうち寄席にも来るようになりましたが、途中で茶々を入れたりして全然笑わない、この程度で笑ってやるものかといった妙なこだわりが滲み出ている。ところが人間は仲間に入らないと、脱落していってしまう生き物なんです。そのうちご本人も笑ったほうが得だと分かってきたようで、笑顔が見られるようになった。するとやっぱり病状も良くなってきて、こちらも治療が非常にしやすくなる。 -- 笑いと涙が人を救う中島 おなかがすいて泣いていた赤ちゃんが、おっぱいを飲むとニコッと笑う。別に笑う必要はないんですよ。満足したならそのまま寝てしまえばいい。だけど人間は、笑うというある意味で「無駄」な行為をする。なぜか?母親への「ありがとう」という気持ちを伝えるためです。そしてその笑顔を見た母親も「ああ、この笑顔がまた見たいなあ」と感じる。だからまたおなかがすいた時におっぱいをやろうと思う.親子のやりとりはその繰り返しなんですね。先日もテレビでこんな番組を見ました、ある幼い女の子が小脳欠損症で歩けない体であるにもかかわらず、ちゃんと笑っているんです。親の影響ですよ、笑顔のお父さん、お母さんにつられてその子も笑うんです。それを見た両親もその子のためにまた一所懸命になる。恐ろしい力ですよ、笑顔というのは。大の大人を二人動かしてしまうんですから。笑いは神様が人類に与えてくれた最終兵器ではないでしょうか。力まないけれどやる時はやる。失敗してもグチグチ言わず、しなやかにいく。そんな落語の主人公のような「粋」な生き方がいま求められているのだと思います。