南蔵院第二十三世 林 覚乗住職 講演 4
A子ちゃんのクラス対抗リレー広島の女子高生のA子ちゃんは生まれた後の小児麻痺が原因で足が悪くて、平らなところでもドタンバタンと大きな音をたてて歩きます。この高校では毎年7月になると、プールの解禁日にあわせて、クラス対抗リレー大会が開かれます。一クラスから男女二人ずつ四人の選手を出して、一人が二十五メートル泳いで競争します。この高校は生徒の自主性を非常に尊重し、生徒たちだけで自由にやるという水泳大会で、その年も、各クラスで選手を決めることになりました。 A子ちゃんのクラスでは男二人、女一人は決まったのですが、残る女一人が決まらなかった。そこで、早く帰りたくてしょうがないそのクラスのいじめっ子が、「A子はこの三年間体育祭にも出ていないし、水泳大会にも出ていない。何もクラスのことをしていないじゃないか。三年の最後なんだから、A子に泳いでもらったらいいじゃないか」と意地の悪いことをいいました。 A子ちゃんは誰かが味方してくれるだろうと思いましたが、女の子が言えば自分が泳がなければならないし、男の子が言えばいじめっ子のグループからいじめられることになり、誰も味方してくれませんでした。結局そのまま泳げないA子ちゃんが選手に決まりました。家に帰りA子ちゃんは、お母さんに泣いて相談しました。ところが、いつもはやさしいお母さんですが、この日ばかりは違いました。「お前は、来年大学に行かずに就職するって言ってるけど、課長さんとか係長さんからお前ができない仕事を言われたら、今度はお母さんが『うちの子にこんな仕事をさせないでください』と言いに行くの?たまには、そこまで言われたら『いいわ、私、泳いでやる。言っとくけど、うちのクラスは今年は全校でビリよ』と、三年間で一回くらい言い返してきたらどうなの」とものすごく怒ります。 A子ちゃんは泣きながら、二十五メートルを歩く決心をし、そのことをお母さんに告げようとしてびっくりしました。仏間でお母さんが髪を振り乱し、「A子を強い子にしてください」と必死に仏壇に向って祈っておられた。水泳大会の日、水中を歩くA子ちゃんを見て、まわりから、わあわあと奇声や笑い声が聞こえてきます。彼女がやっとプールの中ほどまで進んだその時でした。 一人の男の人が背広を着たままプールに飛び込みA子ちゃんの横を一緒に歩き始めた。それは、この高校の校長先生だったのです。「何分かかってもいい。先生が一緒に歩いてあげるから、ゴールまで歩きなさい。はずかしいことじゃない。自分の足で歩きなさい」と励まされた。一瞬にして、奇声や笑い声は消え、みんなが声を出して彼女を応援しはじめた。長い時間をかけて彼女が二十五メートルを歩き終わったとき、友達も先生もそして、あのいじめっ子グループもみんな泣いていました。 『心ゆたかに生きる』林覚乗・西日本新聞社より抜粋転載