ゆするということより
少年を打ったもの 許しという演題で紹介された話 学校や家庭で、もっと愛やゆるしが表現されるようになるなら、競争よりも協調を大切にする社会が実現するでしょう。愛とゆるしは奇跡をもたらすと信じたとき、本当に奇跡が起きます。1998年、ダイアンと私はガーナの首都、アクラの「生き方を変えるヒーリングセンター」に招かれ、西アフリカを訪れました。アクラ滞在中、センター責任者のメアリー・グロッティーが、次のような話しをしてくれました。 メアリーは首都から二時間ほど離れた小学校で先生をしています。彼女は怒ったりケンカをしたりせずに友だちとコミュニケーションをとる方法について、生徒に根気よく教えていました。「ゆるすことが大切だ」といつも強調していたために、「ゆるしの先生」とあだ名がついたほどです。 この学校には、手に負えないほどわんぱくな十歳の少年がいました。誰かれかまわずケンカをふっかけ、彼が行くところ必ず何かが壊されるというありさまでした。しかし、彼は自分の行動に対して、まったく悪びれもしないのです。 ところがある日、ついに担任の先生のお金を盗もうとしたところを見つかります。校長先生はここぞとばかりに全校集会を開きました。この学校の慣例では、このような場合、少年は全生徒の前で杖(つえ)で打たれることになっていました。見せしめにしたあと、放校処分にするのです。 全校の職員と生徒が、杖打ちがおこなわれる体育館に集まりました。少年が姿を現したとき、メアリーは立ち上がり、「ゆるそう!」と叫んだのです。「ゆるそう!ゆるそう!ゆるそう!」 生徒たちは叫びつづけ、その声は体育館全体を揺るがして響きわたりました。 少年はみんなをじっと見ていましたが、やがてしゃがみ込み、すすり泣きはじめました。体育館の雰囲気は一変したのです。 結局この少年は杖で打たれずにすみました。もちろん、放校処分にもなりませんでした。その代わり、彼はゆるされ、愛情をいっぱいもらったのです。その日から、彼がケンカをしたり、盗んだり、何かを壊して、人に迷惑をかけることは、いっさいなくなりました。 校長先生が全校集会を開いて少年を打つと決めたとき、「厳しすぎる」と考えた先生たちも、たくさんいました。その校長先生もゆるされ、この一連の出来事によって、もっと愛に満ちた雰囲気を育む新しい種が、学校に植えつけられたのでした。 ゆるす能力を高めるキーワードは、「意欲」です。ゆるしを実践するときは、自分自身に「私はすべての恨みや、一見もっともな怒りを、自分のなかの再考の真実にゆだねる」のです。「ゆるそう」という心が、ゆるしへの鍵。 「ゆるせる」か「ゆるせないか」ではなく、「ゆるす」か「ゆるさない」かを、自分が選択することが大事なのです。 安らかな現在と未来のために、自分の心と体の健康のために、自分の幸せのために、・・・「ゆるす」ことを決意し、「ゆるそう」と努力できればいいのです。 人間には、自分の考えを選択するという素晴らしい能力があるのです。 「ゆるさない」という不幸になる考え方に気づき、「ゆるそう」「考え直そう」「幸せになる考え方を心がけよう」などと自ら考えられるようになれれば良いのです。 「ゆるそう」という意欲をもち続ければ、きっと「ゆるせる」ときがくるのです。ゆるせば、全ての望みがかないます。ゆるせば、目覚めのときに、目がキラキラと輝き、新しい一日は喜びに満ちたものになります。