中年の発達性心理学
中年というものを、「河合隼雄先生の対話する人間」という本を読んで、考えてみました。 「中年」はこれまで心理学ではあまり注目されてきませんでした。働き盛りの年齢で、一番問題が無いように思われていたのです。ところが、最近になって自殺や抑鬱症の増加などに示されているように、クローズアップされてきました。「中年」に思いがけない「落とし穴」があります。それらをよくみてみると、平均寿命が長くなるにつれて、中年が人生の一つの転換期として意味をもっており、そこに落とし穴が隠されている事がわかってきました。 このような見方でみると、中年における病気や事故などは、マイナスの事でありながら、実は次の新しい発展に向かう為の踏台としての意味をもっている事が明らかになってきたのです。このような点から「創造の病」などという人もあるほどで、中年期に生じる、躓きから創造的な生き方をひらくべきだと思います。 自殺というのは人生の危機を示す重大な事件です。十四、十五年前は、自殺という二十代の人の割合が高かったのですが、ところが最近は、特に男性は五十代にピークがあります。(老人の自殺を除いて考えると)実際にカウンセリングに、こられる方の中年のノイローゼが非常に多くなりました。いままで働きざかりでどんどん働いていた人が急に仕事がいやになる。あるいは、気分がすぐれず職場に行っているのだけれども本気で仕事が出来ない。非常に上手く行っていると思っていた夫婦関係が突然上手く行かなくなる。このような突然の落とし穴があるという認識が出てきました。人生のながれでみると、生れてから段々と成長し頂点に達するのが中年ころです。 しかし頂点に達して素晴らしいなと思っているが、実はもう下降していくことがはじまっている。頂点という見方と、陰りが始まったと言う、二つの見方が出てきます。 中年の落とし穴に入った場合、そこから何を獲得するのか。プラスを得て来るのか、マイナスに落ち込んでしまうのかという事が、非常に大切になります。 ユングは面白い事を言っています。自分の所に相談に来た人の3分の1ぐらいは社会的に成功もしているし、能力もあるし何でも出きる人だ、と。何が悩みかと言うと、実は悩みが無いような所に悩みである。つまり、何もかも上手くいっているように見えながら自分の生きる本当の意味は何か、今何故生きているのか、そういう問題にぶち当たった人である、と言うのです。成功の真っ只中で自分を考え直すというよりも、普通は何らかの落とし穴に出会って考え直さざるをえなくなるのだと思います。 例えば、仕事一筋で来た人が家族のよさを発見し、逆に家族が大切だと思っている人が、仕事の面白みを発見したりする。人生とは非常に豊かで、色々な生き方が有るのに、案外皆一つだと思っているのです。現代人は特にお金が好きですが、お金があるという事も素晴らしいのですが、ないというのも素晴らしいのです。中年までは少ないものを多くしよう。お金も出来るだけ稼ぎ、家も建てようという考え方で進んできますが、その延長戦上にずっと上がり続けて行く事はできない。そうすると中年になって価値の転換が必要であり、今までの自分の持っていた価値と違う見方を取りいれなければならないわけです。けれども相対応する価値と価値の間の谷間にストンと入り込んでしまった人が、そこから出て来るのは容易ではありません。何故かといいますと、落とし穴に落ち込んでしまった時に、今までの価値観だけにぶらさがっていると、モノが見えないのです。新しい価値観を開くと、自分のマイナスがプラスに転化する。ここのところに中年の勝負というものがあると思います。 それは、家庭の中でも職場でも色々なカタチであらわれて来ます。家庭のなかでいうと夫婦の凄い喧嘩になったり不和になったり、夫婦はよくても今度は子供が色々な問題を起こしたり。職場では思いがけず転勤などを言い渡される。自分は良く出来ると思っているのに、上司からの評価は上手くいっていないといった具合に色々な事が起こるわけです。それをマイナスと言えば全てマイナスです。 ところがこれが「中年の発達心理学」の入り口なのです。ここから本来的な意味の発達、内的な発達が訪れる。目には見えないけれども、自分の人生をもう一つ違う目で見る。そうすると他の人の生き方も目で見る事が出来るようになり、今までよりも人生が凄く豊かになって行きます。 私は抑鬱症の方が来られると、抑鬱症がどうしたら治るのだろうかという事のなかに、この人はどういう仕事をしてきたのだろうかと考えます。中年期に目標が達成されるという時は、注意が必要です。ある目標が達成されたという時は、必ず次の課題が出て来るのです。それについていけずに抑鬱病になる方が非常に多いのです。中年である事の練習をどうするのか。私は非常に忙しい生活をしていても、時々は何もしない時間を持つ事が大切ではないかと思います。例えば仕事の合間になにもしないでボーッとしている時間を持つ。誰とも話しをしない時間、あるいは話しをしていてもお互いに沈黙して2人でいられるような時間を持つ。こういう事が非常に大切だと思います。いまの時代はあまりにも次から次へと、する事が追いかけて来る。この事に反省がいるのではないかと思うのです。こういう事を我々に考えさせる機会は、家族との関係にも、仕事の関係にもあります。それから自分の体との関係にもあります。 例えば風邪を引いて休まなければならない事があります。そうすると、この忙しい時に風邪を引いては、たまらないと思うのですが、それは体のほうが、お前はする事に重みがかかりすぎているから、もう少し「あるほう」をやったらどうかと忠告しているのではないでしょうか。体の病気が「すること」に対して我々の評価の高すぎに対して、いっぺんゆっくりと休みなさい、そこにただいるというだけではないかという事を教えようとしているのではないかと、中年期の方にはアドバイスをしたほうが良い場合が多いように思えます。 現代という時代では、仕事にしても家庭にしても、何らかの創造の病に匹敵するような困難な事が生じてくると思います。それをイヤな事であるとか、つまらない事であると思わずに正面から受け止めて、そこから新しい創造が出来て来るのではないでしょうか。【少し本論から外れますが、担当させて頂いている先生のなかで、辛い時にそこから抜け出す心掛けとして、患者さんにお伝えになっている事で、非常に参考になったものを掲載させて頂きます。人の人生の喜びは、此れだけ出来てよかったという観念を収穫することです。例えば、お金も自分だけの為に使うのと、よかったというものを収穫するために使うのでは、同じ使うという行為でも内容が違って来ます。病気や頭に来た事などの問題を解決する事に、人間は成長為に努力させられるようになっているようですよ。嫌なものから逃げても同じような事が必ず戻って来るようです。お客さんで、会社が嫌だから変わった人は必ず新しい会社でも、同じ不満をつのらせているようです。嫌だったと思う観念が、嫌な所に戻しその思いを返させようとしているように感じるほど多くの事例があります。不満から変わる方法としては、例えば人は旅行をして文化や歴史を学んでも僅かな時間に忘れてしまいます。奇麗だった・美味しかったという思い出は忘れません。 人生旅行も同じで思い出しか持ってかえれないようです、と言う事は物質だけに囚われず、本質的に助け合う事が最大の観念の改善ポイントとなると思います。嫌だという思いは、自分の視点が強い場合に多く見られます。 「してもらいたい」から生れているようです。「何をしてあげるか」実は自分の成長に一番早道はこの事だと思います。人間性のアップには・知性・理性・知識のバランスが必要であるようです。助け合い、奪い合わない事をベースに、自分自身をよく考えてみる事お勧めします。私、阪本はいつも反省させられる事ばかりです。】 本論に戻ります・人の心の深みから出ている、自分の生きている事に意味を持っている。そういうものに対して真剣に考える事を、私は宗教性という言葉で呼んでいますが、例えば自分の心の中で非常に寂しい思いをしたならば、誰にも言えないその寂しさをみすえる。あるいは今まで面白かった仕事が面白くなくなったりすると、その原因は自分では簡単にはわからない事ですが、そういう不可解なものを逃げずに、正面から見すえて、それに当たって行く。それらの背後に死という事があると思います。 つまり死という、今体の存在そのもののが、なくなって行く事に向かい合って行く。こういう意味の宗教性を考えなかったら、老いる準備は出来ないのではないかと思います。それにしても、我々は失敗をせずに何かが変わるという事は無いようです。失敗や困難を創造の病として受け止めて、中年を乗り越えていかれる事を、苦しまれている方に導いて下さい。それは次の、老いあるいは、死への準備につながっていくのではないかと思うのです。