積極的な気持ちの作り方
積極せきぎょく精神をつくるには(一)中村天風講演記録積極(天風はこれを"せきぎょく"と発音する)精神というものが、人生においてどれだけ大事なものであるかということは、つとに気づいていると信じますが、物質文明の余弊ともいうべき、現代人の多くはこの大事なことを大事だと考えてないほど、人生に対する注意力が、物質文明方面にばかり傾きすぎている傾向があるのであります。それがために積極精神というものと、生命の力の密接関係というものを、専門のそういうことを知っているはずの、医学者たちも知らないんじゃなく、忘れてしまっているのではなかろうかという傾向がある。我々は命というものを活かしている一番大事な役割を行っているのは何かということをまず考えてみよう。お互いがこうして生きているということを大抵の人は何か当然のことのように思ってるかもしれないが、考えてごらんなさい、呼吸をして栄養物を吸収して、老廃物を排泄して、そして昼間起きていて夜寝ているというだけの、これだけの条件を遂行することによって生きておられるということの不思議さを考えなきゃいけない。それを不思議だと思わないほど、今の人は不思議にこれを極めてなおざりに考えていて、生きていることを当然のように考えてるかもしれないが、もしも我々の命の中にある神経系統の生活機能にアンバランスな状態がでてきたらば、どんなことをしても我々はこの生命を確実に守っていくことはできないという結果がくるのであります。その大事な神経系統の生活機能と心というものとには、密接な関係がある。易しく言えば、心が何の動乱も感じないで極めて平静な状態であるときに、初めて神経系統の生活機能も極めて調和とバランスの整った状態でその生命に対して働きかけてくれるんです。けれど万が一、我々の心の状態に平静が欠かれて変動がくれば、神経系統の全体は、そのショックと衝動によってアンバランスな状態になる。そうすると生命の状態もそのアンバランスになった神経系統によって、やっぱりアンバランスになるんです。たとえば、落ちても別に大して生命に危険を感じないような所に立っているときには、心は平然として誰でも立っていられます。けれども、もし落ちたらば木っ端微塵になるような断崖絶壁の上に立たされると、そのときに心が平静でありゃあいいけども、落ちたら死ぬだろうという恐怖心から、心に変動状態がくると、我ながらあやしいほど身体の重心を保つ神経系統の方面にアンバランスな状態がきて、何とも言えない不安なおののきが身体にくるでしょうが。もっと手近な例は、何の気なしに一本、棒を引くとか丸を書くとかすりゃあ、我ながら定規をあてたくらい立派にかける腕をもちながら、いざ、真面目に何かの場合に役立てなきゃならんというような場合になると、まっすぐに引ける線が引けず、丸く書ける円形が描けないというようなことは、諸君もしばしば体験してやしないか。お互いがお互い同士で雑談しているときには、相当口角泡を飛ばして話うるものの、さて何か一言しゃべってもらおうと、こういう演壇に立たされると何を言ってるんだかちっとも分からないような人がありゃあしないかい。そういうような幾多の経験の上から考えてみても、心が虚心平気であるかないかがその結果に著しい相違をきたすということが分かってくるだろうと思う。晴れてよし、曇りてよし富士の山----虚心平気ということいかなる場合があろうとも、心の状態が事あるも事なきも同じ状態でなきゃいけないんです。「晴れてよし曇りてよし富士の山」 これは昔の武術家の極意の歌ですが、三国一の富士山というのは、雨が降っていようが晴れていようが、天気の状態にはかかわりなく山そのものは泰然自若としている、という意味を詠ったものなんだが、人の心は実際かくのごとくあってこそ初めて本当の人間としての存在が確保できるわけなんです。ところがさっきも言ったとおり、物質文明の余弊とも言うべきか、精神文化がおいてけぼりをくっている現代の人間たちは、何にも事のないときにはある程度まで虚心平気でおるかもしれないけども、一旦何か事があるというとたちまちその心は、もう自分でもどうにもしょうがないほど収拾しあたわざる混乱を、そりゃあもう、スイッチを入れた洗濯機のように、ガーッと心が消極的に興奮してしまうんであります。それがもう現代人のほとんど百人が百人の状態なんです。これから私の教える方法によって、とにかく現在よりもはるかに自分自身が自分自身を考えるときに、何とも言えない頼もしさを感じる自分を創ることを、真剣に考えることを私はおすすめする。昔の人は、この虚心平気の状態になることを、特に武術家や宗教家が心がけていた証拠には、彼らはその目的を達するためには、難行苦行というものをしたんであります。あるいは山にこもり、あるいは谷に住まい、木の実を喰らい、霧を吸って、普通の人間の到底耐えあたわざるような、肉体に種々の残酷ないろいろの行をさせてその苦しいこと辛いことを忍ばせることから、心の乱れを防ぎうるような心を作ろうという計画を実行したんです。かく申し上げている私も、中年の頃インドの山の中でこの難行苦行をさせられたのであります。今世界的に有名な哲学になっているヨーガの哲学を、偶然の機会から研究するチャンスを与えられて、世界最高峰の位置たるヒマラヤの第三ピークであるカンチュンジェンガの麓で私は難行苦行をさせられたんだが、この難行苦行というのは、その後私が人生研究をして得た知識から考えると、科学の進歩しなかった時代の人間が、もっと詳しく言えばだ、精神科学のような特殊科学の進歩していなかった昔の時代の人間がそうするより他に方法がなかったからやった、いわゆるやむをえざる手段に他ならないのである、と私はインドで難行苦行をしている間に考えついたんです。そこでインドから帰って後、普通の人間生活を営みながらつらつらと考えたのは、これだけ文化が進んで精神科学もすでに浸透してきた以上は、精神科学を応用して何か特殊な、こういう難行苦行からでなきゃこしらえられないという精神状態を、作りえないはずはない、作りうるはずだと、こう思ったんだ。人間の心がいざというときに動揺しなければどれだけの効果が上がるかということは、平静な状態のときには心に乱れがないんだから、実際にすることに乱れがないことから良く分かるでしょう。そこで、私の独特の発見による精神科学応用の積極精神の実際の訓練法を教えよう。その第一番は、人間の精神性に個有する暗示の感受性能を善導する方法です。お互いが生まれたとき分ら持ってきている心のなかに、自分じゃあ気が付かないかもしれないが、ちゃんと生まれたときから存在している暗示の感受習性、これを応用して、難行苦行をしなくても極めて簡単明瞭に、いついかなる場合があっても虚心平気でありあとう自分を作ることができる方法があるんです。顔の写る小さい鏡に自分の顔を写して、写った顔の眉間のところを真剣な気分で見て、「お前は信念が強くなる!」とひとこと言うんだ。極めて真面目な気持ちじゃなきゃダメだぜ。これはね、何もそういう方面に対する消息を知らない人間は、ニワトリがダイヤモンド見ているより、もっともっと価値の認識ができないかもしれないが、私がまだ中年の頃、フランスでまさに世界的に有名な実験心理学者であるリンドラーという博士から教わった方法なんです。夜の寝際が一番いい。今まさに自分がベッドに入ろうとする前、他人事ではないぞ、自分自身を正しく変革しようとするこの仕事くらい、真剣な仕事はないはずだ。鏡に写る顔の眉間のところを真剣な気持ちで見ながら「お前は信念が強くなる!」。特に「お前は」という第二人称を用いなきゃいけない。普通の常識で考えると、写っている顔はオレの顔じゃねえか、オレの顔をお前とはこれいかに、と思うだろう。けれどよーく考えてごらん。写っている顔がオレの顔だからオレならば、写しているほうの本体は誰だ、そうなるだろう。この本体から見ると、向こうのは映像なんだから、こっちの反映なんだから、本人から写ったものを見れば、「お前」じゃないか。これがさすがですよ、実験心理学者のリンドラーの考えている考え方は、普通考える考え方と違うんだよ。つまり自分がもう一人の自分によって矯正させようとする、これが計画の実行だと思えばいいんだ。もういっぺん言う。鏡に映るおのれの顔の眉間のところを、真剣な気分を失っちゃあ、ダメだぜ。たった一回なんだから、「お前は信念が強くなる!」もう他のことは何も言う必要ない。ただ「信念が強くなる!」そのひとことが、やがて諸君を自分でもこれがオレの心かしら、と思うほど、いざ鎌倉のときに非常な強固な信念となって、それが諸君に表れてくるぜ。寝際の大切さ何をするんでも、信念がなかったら心はガタつくんです。床に入る前に鏡を見たら、真剣な気持ちで自己矯正。いわゆるオートサゼスチョンに努力しなきゃ。それから床へ入ったら、一切、消極的なことを考えないこと。人間はね、よほど心が修養されてない人間でないと、寝床の中に入るととかく消極的なことを考えるべく余儀なくされるんだ。世にいわゆるノイローゼというものがあります。ノイローゼというのは、寝がけに消極的なことを考えれば考えるほど、病状がより悪く進行してしまうんだ。夜、横になるというのは休むためなんです。休むために寝るときに、休まないで考えていたら、思考作用というものが衰えてどんどん消極的に、弱くなってくる。私は結核になったとき、情けないほど弱い気持ちになってしまった。日露戦争の時に軍事探偵というお仕事を頂いて、毎日毎日荒野を駆け巡っていたころの強い心の私なんていうものは、かけらもなくなっちまったんです。もう毎晩寝床の中で考えることは情けないことばっかり。知らなかったから、そのころはこういうことを。しかしお蔭さまでもって、研究の結果、寝がけにものを消極的に考えることが、より一層神経系統の生活機能に対して悪い影響を与える、その結果があれほど自分でも男惚れするくらい強い心を持ってたはずの自分が弱くなってしまったんだな、ということに気がついたんです。中村天風未公開講演テープより